人とバイクが共存する島 いまも続く世界最古の公道レースで、マン島独自の文化がみられる
1907年から続く伝統の「マン島TTレース」は、現存する世界最古のモーターサイクルレースであり、現在も公道レースとして開催し続けています。レース期間中の街の様子から「バイク文化」の片りんを見てみましょう。
マン島のバイク文化は、TTレースとともに育まれてきた
筆者(小林ゆき)はこの島に魅せられ、1996年から通い続けてマン島に根付いている「バイク文化」「モータースポーツ文化」に多く触れてきました。2019年開催の現場から、その片りんをご紹介します。

マン島TTレースのルーツは1904年にさかのぼります。当時、まだ普及していなかったガソリンエンジンの乗り物(四輪乗用車、三輪乗用車、二輪車)の市販車の性能を競い、イギリスの自動車産業の振興を世界にアピールしたいイギリス側の思惑と、さらなる観光振興のため観光の目玉としてモータースポーツを誘致したいマン島政府(マン島はイギリスからは独立した「クラウン・ディペンデンシー」と呼ばれる独立地域です)の思惑が合致して、イギリスとアイルランドの間に浮かぶ独立地域マン島の公道を法律によって閉鎖し、レースを行なうことになりました。
現在では、ロードレースといえばレース専用のサーキットで行なうことが当たり前になりましたが、当時はそもそもモータースポーツ自体が一般的ではなく、サーキットは存在せず、公道を使うことも珍しいことでした。

当時のイギリス本土では、自動車は「うるさくて臭い」存在。そのため、マン島政府はTTレース(ツーリスト・トロフィ・レース)を開催するにあたって、住民にモータースポーツが最新のテクノロジーを競う場であることをアピールしました。
さらに、兵士や炭鉱夫、漁夫を名誉職としてコースマーシャルに採用したり、ボーイスカウトやガールスカウトなど、子どもたちにスコアボードを担当させるなどして、島一体となってレースイベントを作り上げることで、TTレース開催を島に浸透させました。
一方、島の外からやってくる観戦客への対応も力を入れ、フェリーを増やし、宿泊施設を整え、観戦エリアへの送迎バスを整備するなど、島住民が経済的な恩恵を受けられるようにしていきました。
こうして、マン島にバイク文化、モータースポーツ文化が熟成していったのです。
TTレースになると、島じゅうがバイクだらけに!?
TTレースは第二次世界大戦後に世界グランプリシリーズの第1回目の大会として復活します。世界GPシリーズから外れたあとも世界最高峰の公道バイクレースとして開催され、世界中からこのエキサイティングなレースを観戦しにビジターがやってくるのです。

TTレースの期間中は、島の人口約8万人に匹敵するほどのビジターが来萌(マン島のことを中国語で「萌島」というそうです)します。
さすがにホテルは1年前から予約で埋まりますので、マン島政府はホームステイを推進しています。ビジターは安く泊まれるうえ、ホームステイを提供する人は減税措置が受けられるという恩恵があります。
また、島のあちこちにシャワーや常設テントなどが整備されたキャンプ場が期間限定で出現します。普段は牧場やラグビー場、学校のグラウンドなど広いスペースを利用しています。
こうした場所をキャンプ場にすることで利用料を受け取ったり、軽食の販売ができるだけでなく、島外からの外国人含むビジターと地域の交流が発生し、地域社会にとってプラスの効果が生まれているのです。

商店街はライダーを歓迎するべく、あちこちにバイクをディスプレイしたり、ライダー向けのお土産でバイクだらけになります。また、銀行や証券会社、電話会社なども、バイクをモチーフに広告を展開するなど、とにかく島じゅうがバイクで埋まり、ライダー歓迎のムードが高まります。
さて、2019年のマン島TTレースではどんなバイク文化、モータースポーツ文化の片りんが見えたのでしょうか。レースを取り巻くあれこれを写真でご覧ください。
【了】
Writer: 小林ゆき(モーターサイクルジャーナリスト)
モーターサイクルジャーナリスト・ライダーとして、メディアへの出演や寄稿など精力的に活動中。バイクで日本一周、海外ツーリング経験も豊富。二輪専門誌「クラブマン」元編集部員。レースはライダーのほか、鈴鹿8耐ではチーム監督として参戦経験も。世界最古の公道バイクレース・マン島TTレースへは1996年から通い続けている。