ハーレーの本場、アメリカに渡り第一線で活躍するメカニック 『バーテルズ』星野充氏が語る『日本と米国、仕事のシステムの違い』とは~後編~

長い歴史を持つバイクブランド「ハーレー・ダビッドソン」が生まれたアメリカの名門ディーラー「バーテルズ」では、ある日本人メカニックが活躍しています。いったいどのような功績を挙げてきた人物なのでしょうか。

アメリカの名門H-Dディーラー、『バーテルズ』でレースメカニックとして活躍する日本人メカニック

 1983年にカリフォルニアのカルバーシティで創業し、現在のマリナ・デル・レイに移転してからは敷地面積4万平方フィートを誇る『バーテルズ』は、ハリウッドスターや有名ミュージシャンが顧客として出入りする巨大ハーレー・ダビッドソン(以下:H-D)ディーラーです。

チーフメカニックとしてメインライダーの Tyler O’Haraと会話を交わす星野氏。この1枚からもチーム一丸となっての勝利であることがよく分かります。撮影/ Brian J. Nelson

 ディーラーである一方で、同店は1990年にXLH883(スポーツスター)によるワンメイクレース『アメリカン・ツイン・スポーツクラス』で年間チャンピオンを獲得し、ダートトラックの世界でも国民的な人気を誇るレーシング・ライダー「ジェイ・スプリングスティーン」をサポート。『H-Dレースの名門』という顔を持つショップです。

 ここでは、その『バーテルズ』で2004年よりメカニックとして勤務する傍ら、2006年から「レース部門」のメカニックを兼任し、2012~2014年にかけて『XR1200』のワンメイクレースに参戦。デイトナで見事、優勝を果たした日本人メカニック、星野充氏に『アメリカでのレース活動』について伺ってみました。

──2004年に『バーテルズ』にメカニックとして入店した星野さんですが、「レース部門」に関わるようになった経緯を教えてください。

 僕が『バーテルズ』に入った頃は、すでにジェイ(スプリングスティーン)も引退していましたし、レース部門も縮小されていたんですね。ショップに入ってからは、まずは実力を認めてもらわないといけないので、メカニックとしてのスキルアップに集中していました。
 
 そんな折りに2006年くらいから社長のビル・バーテルズから「レースを手伝わないか?」という話を頂きまして。その時はビューエルのXBRRでのロードレースです。ビルはエリック(ビューエル社・社長)と仲が良かったのでエンジンの供給を受けて、それをストリート用のXBのシャシーに積んで。ウィロースプリングスとかのローカルのレースに2年くらい出ていました。
 
 その後、2008年にビューエルから水冷の1125Rが出たんですけど、その当時、スポーツスターカップで94年にチャンピオンになったショーン・ヒグビーというライダーがバーテルズにいて、ショーンはビューエルのテストライダーもやっていたんですけど、彼の専属メカニックとして3年くらいAMA(アメリカン・モーターサイクリスト・アソシエーション)のナショナル・レースに参戦していました。この水冷レーサーでは2009年のAMA『デイトナ200』で73台中、5位になりましたね。

──おおお、『デイトナ200』で5位は凄いですねぇ。ちょうどそのレースを始めた頃、2006年のデイトナに日本のサンダンスが参戦した時にもメカニックとして参加しましたよね?

 やっぱりデイトナウエポンのような特殊なレーサーに触れるチャンスはなかなかないですから。柴崎さんがデイトナに出ると伺ったので、お手伝いを申し出たんです。もともと日本にいた時、2003年に長野で「フィールド・オブ・ドリームス」というダートトラックのイベントがあって、ジェイ・スプリングスティーンがゲストとして来日したんですけど、その時に僕もレースに出場しまして。

2006年、デイトナにサンダンスが参戦した際、メカニックとして帯同した星野氏。この時の経験が後のレース活動にも息づいています

 そこでブルーパンサーの(重松)タケさんに初めてお会いしたんです。初対面で図々しいかなと思いつつ(苦笑)、タケさんがラスベガスのドラッグレースに出るという話を聞いて「手伝わせてください」とお伝えしたらメールが来て。
 
 それでアメリカに行くことになったんですけど、その時にメカニックとして帯同していたのがサンダンスの柴崎さんなんです。長野のイベントでも柴崎さんをお見かけしたんですけど、その時は喋る機会もなくて。
 
 それでアメリカに行ったら、その時、DJ(TAK SHIGEMATSUレーシングの専属メカニック ドン・ジョンソン)がラスベガスに来れないということになって、いきなり柴崎さんと僕で(重松)タケさんのメカニックをやることになったんです。それから仲良くさせて頂いて。
 
 柴崎さんがデイトナに来ると聞いた時は、もうバーテルズに入っていたんですけど、迷わずお手伝いさせて頂きました。1999年と2000年に個人的に日本から観戦には行ったんですけど、スタッフとして参加したのはサンダンスさんのお手伝いをさせて頂いた2006年のデイトナが最初でした。あの時は、かなり貴重な経験をさせて頂きましたね。

実力主義のアメリカ社会で「日本人」として誇れる仕事を

──その後、念願叶って「アメリカのレース」の世界に飛び込むわけですね?

 そうですね。2006年のローカルレースから始まって2008~2010年まではAMAのナショナルのシリーズ戦に出て。2009年にハーレーのXR1200が発売されてからは2012~2014年までの3年間、ワンメイクのシリーズ戦に出場したんですけど、2013年のデイトナで優勝した時は感慨深かったです(2012年、バーテルズレーシングは2位、3位。2014年は2位だったもののトップにレギュレーション違反が見つかり優勝)。

デイトナのバンクを駆け上がる Josh Chisum。レーシングマシンとしてはもちろん、カスタムとして見てもクールな一台です。撮影/ Brian J. Nelson

 以前は「デイトナに出る」というだけで凄いことだと思っていましたけど、そのAMAのシリーズ戦で、まさか優勝出来るなんて……そういう部分ではある意味、日本にいた頃から自分の思い描いていた目標は既に達成してしまいましたね。

──では、この先、プロとしての目標は何かありますか?

 やっぱりハーレーのメカニックとしての仕事を全うしたいですね。レース活動も好きですけど、同時にディーラーメカニックとしての仕事も好きなので。今はライブワイヤー(ハーレーの電動バイク)を任されているんですけど、あのバイクは全米で200店舗のディーラーでしか販売しないんです。

米国ウィスコンシン州ミルウォーキーのH-D本社での1枚。全米から選ばれたメカニックのみが本社に招かれ、『ライブワイヤー』に関する講習を受講したとのこと

 つまりH-D社から選ばれた店だけが扱うことが出来るんですけど、その任された仕事を完璧にしたい。バーテルズというショップが外国人を雇うのも初めてですし、僕が「日本人」であるという部分に期待もされていると思うんで、それに応えたいというか。仕事の細かさとか作業の丁寧さとか。アメリカという実力主義の国の中で「日本人」として誇れる仕事をこの先もしていきたいですね。

【了】

【画像】アメリカのレース・シーンで活躍するバーテルズのレーシングバイク(11枚)

画像ギャラリー

Writer: 渡辺まこと(チョッパージャーナル編集長)

ハーレーや国産バイクなど、様々な車両をベースにアメリカン・テイストのカスタムを施した「CHOPPER」(チョッパー)をメインに扱う雑誌「CHOPPER Journal」(チョッパージャーナル)編集長。カスタム車に限らず、幅広いバイクに対して深い知識を持つベテラン編集者。

最新記事