甲斐源氏の悲しみが宿る「雨鳴城」のいま バイクで往く城跡巡り
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも描かれた甲斐源氏の悲話。秋山光朝(あきやまみつとも)ゆかりの「雨鳴城(あまなりじょう)」は、源頼朝率いる鎌倉方に攻められた光朝が自決した地として伝承されています。
印象的な城の呼び名、悲劇の伝説と重なる
山梨県南アルプス市湯沢に遺る「雨鳴城跡(あまなりじょうせき)」は、甲斐源氏、秋山光朝(あきやまみつとも)ゆかりの城とのこと。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、強大な勢力を誇る甲斐源氏(のちの武田一族)頭領の武田信義(たけだのぶよし)が転落して行く様が描かれていました。

秋山光朝は信義の次弟である加賀美遠光(かがみおんこう)の長男ですが、平家全盛の時代ということもあり、平重盛(たいらのしげもり)の娘を正室に迎えたそうです。鎌倉から平家討伐の命を受けた際、光朝は壇ノ浦の戦いにも参加しますが、その後謀反の罪で討伐の命令が下されたとのこと。
追い込まれた光朝は1184年10月11日に自決。雨が降る際に山が鳴ることから「雨鳴城」と名付けられたこの城は、光朝の霊魂が宿るとも言われているようです。ただし鎌倉で処刑されたという伝承もあるようで、どちらが本当なのか分かりません。いずれにしても、悲劇であったことは確かなようです。

じつはそんな悲劇的な歴史はこの城跡を巡り終えてから知ったこと。とにもかくにも一風変わった城跡名に惹かれて向かったのでした。
南アルプス市の城山と雨鳴山を結ぶ「林道甲西線」をスーパーカブで走ると、道沿いに天満宮の鳥居が建っています。この鳥居からはちょっとしたトレッキングとなります。
途中で石積みの虎口(こぐち=出入口)を確認しつつ山道を登っていくと、今度は神社が現れました。まるで人が訪れた形跡のない山の上にある神社は、独特の荘厳さがあり、少し怖さを感じるほどでした。お参りをしてから、神社の裏の尾根を登って「雨鳴城跡」を目指します。

解説板もなければ登山道として整備もされていないので、正直やや不安になりましたが、南アルプス市公式ホームページの関連サイトに掲載された「雨鳴城」の調査情報に勇気付けられて尾根を登っていくと、明らかに主郭と分かる開けた場にたどり着き、ホッとしました。
周囲を土塁で囲まれているこの主郭の先には、いくつかの堀切を挟み二の郭などが続き、その先には「中野城跡」があります。これらの道は登山道として整備されていないため、歩行には十分注意が必要です。今回は足元や地理関係が不安だったので引き返すことにしました。

南アルプス市教育委員会文化財課によると、今後も「雨鳴城」の調査を続け、将来的にはさらに山奥にある、すでに整備された要害「中野城」につなぐルートも整備を進めたいとしています。より安全に城跡へアプローチできるよう、期待したいところです。