啼石伝説が残る「隠尾城」 日差しを浴びる苔の石垣に目を奪われた バイクで往く城跡巡り

富山県西部の砺波市(となみし)エリアで城跡を探していたところ、気になる場所を見つけスーパーカブで訪れました。その名も「隠尾館跡(かくりょうやかたあと)」です。上杉謙信(うえすぎけんしん)に攻め込まれ、悲運の最後を遂げたとも伝えられているその館跡には、苔の生えた石垣が残っています。

置かれた石に生す厚い苔、往時の気配が感じられそうな史跡

 富山県西部の砺波市(となみし)エリアで城跡を探していたところ、気になる場所を見つけスーパーカブで訪ねてみました。その名も「隠尾館跡(かくりょうやかたあと)」です。上杉謙信(うえすぎけんしん)に攻め込まれ、悲運の最後を遂げたとも伝えられているその館跡には、苔の生えた石垣が残っています。

富山県砺波市の文化財に指定されている「隠尾館跡」には、かつて城と館があった
富山県砺波市の文化財に指定されている「隠尾館跡」には、かつて城と館があった

「この光景、どこかで観た感じがするゾ……」と思ったら、映画『天空の城ラピュタ』でした。天空にそびえるわけではありませんが、人の手によって置かれ、長年不動だったであろう数々の石には苔が生えていて、なぜか映画のメインキャラクター、パズーとシータがたどり着いた場所と、そこに現れるロボットを思い出したのでした。

 往時の人々の息吹を感じさせ、なんとも言えない荘厳な気分になる「隠尾館跡」は、砺波市庄川町の隠尾集落にあリます。城跡から200mほど離れた「隠尾八幡宮」に到着すると、地元の方が道を整備していました。訪ねると「この先を進めばすぐに見つかるよ」、「スーパーカブなら余裕で行けるよ」と丁寧に教えていただき、安心して先へ進みます。

城跡の入り口にある「隠尾八幡宮」には、かつての村の屋号が記された記念碑が建っている
城跡の入り口にある「隠尾八幡宮」には、かつての村の屋号が記された記念碑が建っている

 すぐに城址碑と説明板が見つかり、どうやらこの位置が「隠尾城」の主郭前のようです。説明板によると次の通りです。

・永禄3年(1560年)、上杉謙信は椎名氏を援助し富山城を攻め、さらに増山城(ますやまじょう)に逃れた神保氏を追撃して五ヶ山に敗走させた。

・この時の戦渦に巻き込まれたのが隠尾城主、南部源左衛門尚吉(なんぶげんざえもんなおよし)と言われている。鉢伏山の合戦は、その場所が秘境でもあり、資料が隠蔽されていたため諸書に見当たらない。

・館跡の規模は南北29m、東西21mの台地からなり、北側を除く三方が深い谷という天然の要害となっている。台地に沿って池となっているところが堀跡で、南側崖下20mのところに籠城用の飲料水にしたという湧水(城清水)の跡がある。

・詰めの城があった鉢伏山付近は、近年放牧場に開墾された際、土饅頭など無数の塚が発見された。

主郭の周囲を散策してみると、苔に覆われた石積みが見られる
主郭の周囲を散策してみると、苔に覆われた石積みが見られる

 地元の記録によると、城主の尚吉は謙信の大軍に攻められ、最後は自ら城に火を放ち、壮烈な討ち死にをしたそうです。

 現在、隠尾集落は廃村となっていますが、尚吉は戦死する前に子息を山中に隠れさせていたようで、その後南部家の子孫が城跡の脇に館を構えたとのこと。屋敷はすでに崩れてしまっていますが、その痕跡は残っています。

主郭には「啼石」として伝説の残る不思議な形をした石がある。主人の悲運に泣き続けたとされている
主郭には「啼石」として伝説の残る不思議な形をした石がある。主人の悲運に泣き続けたとされている

 主郭に登ると、中央には不思議な形をした石がありました。啼石(なきいし)と呼ばれるこの石は、城主の尚吉の悲運を泣き続けたという伝説が残っています。池の跡や堀の痕跡を眺めていると、日差しに照らされた石垣の苔が光っています。

 山城を訪れると無常観に浸ることが多いのですが、かつての「隠尾城」はとくにその感が強い城跡でした。そっと眺めて、静かに山を降りました。

【画像】思わずラピュタの世界を連想する「隠尾館跡」をもっと見る(12枚)

画像ギャラリー

最新記事