知られざるヤマハの歴史〜1960年代から1980年代〜
二輪自動車や楽器作りなどで知られるヤマハですが、その歴史は1887年の創業からおよそ130年にも及びます。いったいどのようにして現在の地位を築いてきたのでしょうか。
1960年代から1980年代のヤマハの歴史を解説
創業者である山葉寅楠が、1887年に小学校のオルガンの修理をしたことがきっかけで、楽器メーカーを創業。これにより、ヤマハのバイク造りの歴史がはじまります。
そして戦時中には、航空機のプロペラを製造。この技術と工作機械を活かし、戦後の1955年に、ヤマハのオートバイの原点となる第1号機「YA-1」を完成させます。

当時の日本には200社ほどのバイクメーカーがひしめき合っていました。そんななか、後発となるヤマハは、国内2大レースで見事に優勝を飾り、全国に技術の高さをアピールしたというわけです。
このレースの躍進によって、その後は「YC-1」「YD-1」「YDS-1」といった新モデルを急ピッチで市場に投入していきます。
そして1960年代に入ると、黒一色の塗装で実用性だけが求められたオートバイの常識に、少しずつ変化がみられるようになります。戦後の復興を経て高度経済成長へと向かい、人々の暮らしが豊かになってくると、モーターサイクルにも多様性が求められる時代に。
そうしたなか、ホンダの「スーパーカブ」などが他社から相次いで発売され、バイク市場を席巻するようになっていました。その流れにヤマハも乗るために発売したのが、1960年の「MF-1」です。ヤマハ初の50ccモデルで、モノコックボディにナイトハルト式フロントサスなど、斬新なスタイルと快適な乗り心地を実現しました。

また同じ年に、ヤマハ初のスクーターとなる「SC-1」を発売します。セルダイナモやトルクコンバータと2段ギアを組み合わせた変速機、前後輪片持ちサスペンションなど、先進的な技術を投入。その優れた走行性能と目新しいデザインで、市場にインパクトを与えたモデルです。

1968年には、「トレール250DT-1」がデビューしました。日本にまだオフロードという概念がない時代に、未舗装を走れるバイクとして話題を呼びました。日本のモトクロスブームの火付け役となったモデルです。
ちなみに、モータリゼーションが急速に進み、人々の暮らしにオートバイが定着していったのがこの頃です。日本では高速道路の交通網が広がりをみせ、モーターサイクルの大型化・高速化のニーズが高まっていきました。
そうしたなか、1970年の原付を含めた二輪の保有数は885万台にのぼり、YA-1が登場した15年前に比べて10倍以上に拡大したのです。

1970年には、排気量650cc、OHCバーチカルツインエンジンを搭載した「XS-1」がデビューします。創業以来、2ストロークエンジンだけで勝負してきたヤマハが、はじめて4ストロークエンジンに挑んだモデルです。扱いやすい軽量でコンパクトなボディと、トルクフルな加速フィールで多くのファンを魅了しました。

また、1977年には、ヤマハ初の原付スクーターとなる「パッソル」が登場します。スカートを履いた女性でも足を揃えて乗ることのできる、ステップスルースクーターの元祖といえるモデルです。
大女優を起用したCMも効果絶大で、今までバイクに目もくれなかった主婦層がこぞって買い求めました。大ヒットを受けて、「パッソーラ」「パッソルD」「パセッタ」といった派生モデルも続々と誕生し、「ソフトバイク」という新しい市場を確立したモデルです。

1978年には、ビッグシングルと呼ばれた 「SR400」がデビュー。ビッグトレールの「XT500」のエンジンをフィードバックして、ロードスポーツ向けに仕様を応用して造られました。トルクフルな単気筒エンジンとトラディショナルなデザインが特徴で、幅広い年代のユーザーから長きにわたって支持されてきた名車といえます。
そして1980年代が幕を開けると、空前のバイクブームが巻き起こります。その裏では、当時ホンダとヤマハは、原付スクーターの販売台数を競った「HY戦争」を繰り広げていました。
メーカーの威信をかけた熾烈な販売合戦によって、街にはバイクがあふれていた時代です。そんな相乗効果もあって、1982年のピーク時には、バイクの生産台数が328万台という、驚異的な数字をマークすることになりました。

そうしたなか、1980年に「RZ250」が発売されます。当時のクラス最高の35PSをマークし、ピーキーなエンジン特性と軽快なハンドリングがファンの心をとらえ、爆発的な人気を誇りました。
また、250ccクラスでは、今でも歴史に残る名車として評価が高く、バイクのライディングの楽しさを一変させるほどの衝撃を与えたモデルです。翌年には「RZ350」も登場し、「ナナハンキラー」と呼ばれました。

HY戦争が終結した1983年になると、原付の人気が低迷していくことになりましたが、そんな状況を打開するために登場したのが「JOG(ジョグ)」です。それまで主婦の買い物の足としてのバイクだった原付を、先進的なカラーリングとスポーティなルックスに変えたことで、若者から絶大な支持を得ることに成功しました。
ジョグは、49kgの軽量ボディに4.5PSを誇る、当時としてはパワフルなエンジンを搭載。初期モデルはリミッターがなかったため、70km/hを余裕で超える性能を発揮し、発売から1年半で約30万台を記録しました。
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バイクのデザインにこだわることが、黎明期からヤマハの社内に脈々と受け継がれてきた社風のようです。黒一色が常識だった時代に、1号機「YA-1」をあえてマルーンのツートンカラーにしたのも、楽器を作ってきたメーカーならではの発想なのかもしれません。
これまでも、他社ではマネできない数々の個性的な名車を生み出してきました。美しく優れたデザインで高い品質のバイクを、これからもヤマハは造り続けていくことでしょう。















