家康公ゆかりの地をバイクで巡る旅 「高天神城」を奪還すべく築かれた玉石垣が美しい「横須賀城」へ
静岡県掛川市西大渕は、かつては「遠江国城東郡横須賀」という地名でした。ここに保存されている「横須賀城跡」は、徳川家康が武田勢の軍事拠点「高天神城」を落とすために築城させました。天竜川から運ばれた丸い川原石で築かれた石垣の城を、スーパーカブで訪れました。
「玉石積み」の石垣が、美しくも珍しい
静岡県掛川市西大渕は、かつては「遠江国城東郡横須賀」という地名でした。ここに保存されている「横須賀城跡」は、徳川家康が武田勢の軍事拠点「高天神城」を落とすために築城させました。かつては天竜川から運ばれた丸い川原石(=玉石)で築かれた石垣の城を、スーパーカブで訪れました。

戦国時代の城の石垣と言えば、加工していない自然石を積んだ「野面積み」を思い起こしますが、この「横須賀城」の石垣は見るも珍しい玉石で築かれています。現在の石垣は復元されたものですが、かつては天竜川から運ばれた玉石とのことなので、当時もこのような外観だったのでしょう。
訪れる前にこの石垣の知識がなかったため、随分と現代的で、美しく積み上げられたものだと思っていましたが、これがじつに珍しい「玉石積み」だったことを現地に来て知ることが出来ました。玉石を石垣とするには、かなりの技術が必要だったのではないでしょうか。現地の解説板によると、復元した石垣は大井川で採取した石を使っているそうです。

さて、この「横須賀城」は徳川家康が「高天神城」攻略のため、家臣の大須賀康高(おおすがやすたか)に命じて築城させたと言われています。
大須賀は1528年生まれで家康よりも14歳年上の武人。勇将であった大須賀は、1574年以降の「高天神城」攻めでは屈強な「横須賀衆」と呼ばれる集団を率いて戦功を挙げたそうです。
そもそも「高天神城」は家康の領分で、大須賀が守備を担当していたようです。そこへ武田勝頼(たけだかつより)率いる武田軍が遠江を侵攻し始め、奪われる形となってしまいました。
1575年の「長篠(ながしの)の戦い」で織田・徳川連合軍が武田軍に大勝したのち、1578年に「高天神城」を奪回すべく、「横須賀城」が築城されました。

現在の「横須賀城跡」は、駐車場から本丸南面の見事な玉石垣を眺めることが出来ます。構造的な特徴としては東西に長く、南面に東大手門、西大手門という2つの大手門があることです。
かつて三層四階の天守があったと言われる本丸へ足を進めます。そこは二段になっていて、ここも玉石垣が復元されていました。発掘調査ではスロープの遺構が見られ、大量の廃棄瓦が出土したそうです。天守台は40坪ほどのスペースに4層の建物があったと記録されており、礎石などの跡が見つかったそうです。また、鯱瓦も出土したそうです。

「横須賀城」は1869年(明治2年)に廃城し、その姿を消しましたが1981年に国の史跡に指定されて復元、現在に至っています。宝永地震(1707年)の影響で地盤が隆起して入江が消滅したそうですから、かつては船着場もあり、いまとは全く異なる様相だったのでしょう。そんなことを想像しながら城跡を巡るのも面白いものです。














