この車体で180km/hオーバー!? ホンダのレース黎明期(1958年)に現れたアジアの彗星「RC71」
浅間火山レースの時代に、シンガポールの空港サーキットで行なわれたモータースポーツに彗星の如く現れたホワイト選手は、ホンダ「RC71」を駆り大活躍を見せ、アジアのレースファンのヒーローとなりました。
「浅間」と「マン島」の間に存在した特別なレーシングマシン
1958年(昭和33年)に登場したホンダ「RC71」は、ホンダの初期のレーシングマシンの1台です。車両展示されていたホンダコレクションホール(2024年の改装前に撮影)の説明文によると、浅間火山レースに出場した「C71Z」をベースにした発展プロトモデルで、1960年にシンガポールのレースで優勝した、とあります。

そもそも車名が不思議です。現在ではホンダ車の頭文字の「RC」は、MotoGPマシン「RC213V」などレース用の特別なファクトリーマシンだけにつけられる頭文字です(車名とは別に型式名称では「R」は750ccクラス、「C」は公道用のロードモデルを表します。車名が「VFR750R」の形式名称「RC30」などは少し紛らわしいです)。
ですがホンダコレクションホールの中で、「RC71」はクラブマンと呼ばれる市販されたレース車のグループに展示されていました。
「RC71」と、オランダでレストアされた「C71Z」を観察すると、エンジンは市販車「SC71」をベースにしています。しかし車体は全く別物で、マン島TT用のファクトリーマシン「RC142」に近いものでした。これを見るとマン島TT参戦に向けて浅間火山レースで開発を進めていたことが分かります。
さて、シンガポールやマレーシアでは、1940年代から地元のモータースポーツ愛好家によるジョホール・グランプリ(世界GPのシリーズ戦ではない)が開催されていました。
1950年代後半になるとシンガポールは紛争の混乱が落ち着き、住民の暮らしも平常に戻っていました。英国軍が駐留して基地や空港を管理しており、そこで行なわれたレースに参加する英国兵もいました。
1959年にシンガポールは自治権を獲得し、1960年2月には国王の戴冠式を祝う7年ぶりのジョホール・グランプリも開催されました。そのタイミングでシンガポールに赴任してきた航空技術者が、クリストファー・P・ホワイト選手です。
英国選手権でのレース経験があるホワイト選手は、ホンダへ手紙でマシンの貸与を申し出ました。もちろん彼が乗りたいのは250ccクラスの4気筒エンジンを搭載する「RC161」だったと思われます。一度は断られますが、その後、地元のホンダ代理店が仲介して「RC71」がシンガポールにやってきます。
タイムトライアルが中心だったシンガポールで、11月に開催された「センバワンRASCカストロールトロフィーレース」は、この年の唯一の一斉スタート方式のレースでした。「RASC」とは「ロイヤル・エアフォース・ステーション・チャンギ」の略称です。

ホワイト選手は不慣れなコースとマシンにも関わらず、地元のコースに慣れたヤマハやジレラに乗るアジアンレーサーを相手に250ccクラスと350ccクラスで優勝します。
ストーリーはこれで終わりではなく、翌1961年まで毎月のように「RC71」でレースに参加していたホワイト選手は、本職の飛行機演習中に墜落してしまいます。
幸運にも無傷で生き残った彼は、6月に市街地サーキットで行なわれたシンガポールグランプリの250ccクラスに、4気筒エンジンの「RC161」で出場して優勝しました。仲介したホンダの代理店も大喜びだったことでしょう。
これらのレースには、日本からマン島TTにも出場した鈴木義一選手(「RC162」で別のレースで優勝)や、ヤマハ車に乗る日本人ファクトリーライダーも参戦していました。
1960年代は、ホンダのアジア進出が始まった時期でもあります。現地での合弁会社設立やノックダウン生産などの動きが活発化し、こうしたレース活動が、ホンダというブランドの宣伝として最前線だったとも言えるでしょう。
なお、この記事を作成するにあたり、ホンダの初期のレーシングマシンの1台である「RC71」を理解するために様々な資料を調べました。
そのなかで、当時のアジアレースを研究する「Rewind Resource Archives」というサイト内の「SELETAR’S METEOR」の著者エリ・ソロモンさんに記事参照の快諾をいただき、参考にさせていただきました。当時の写真もたくさん載っており、たいへん貴重で面白い記事ですので、ぜひご覧ください。
■ホンダ「RC71」(1958年型)主要諸元
エンジン種類:空冷4ストローク並列2気筒SOHC2バルブ
総排気量:247.33cc
最高出力:24PS/8000rpm
最高速度:180km/h以上
【取材協力】
ホンダコレクションホール(栃木県/モビリティリゾートもてぎ内)
※2023年12月以前に撮影
Writer: 柴田直行
カメラマン。80年代のブームに乗じてバイク雑誌業界へ。前半の20年はモトクロス専門誌「ダートクール」を立ち上げアメリカでレースを撮影。後半の20年は多数のバイクメディアでインプレからツーリング、カスタムまでバイクライフ全般を撮影。休日は愛車のホンダ「GB350」でのんびりライディングを楽しむ。日本レース写真家協会会員