バイクで往く城跡巡り 古墳を利用した城砦!? かつて戦の舞台となった広島県の「掛迫城」とは
広島県福山市駅家町にある「掛迫城(かけさこじょう)」の跡をバイクで訪れました。475年前に戦の舞台になったとされる場所は、静かな山の中にひっそりと残る城跡でした。
城跡のつもりが古墳巡りに? 進みやすい散策路を行く
以前訪れた広島県福山市新市町の「相方城(さがたじょう)」は、備後(びんご)の宮氏(みやし)と対立していた有地氏(あるじし)が築城しました。両家の紛争は有地氏が勝利し、宮氏本家は滅亡へ向かったということを、「相方城」を訪れて知ることができました。

今回バイクで訪れたのは、宮氏による要害「掛迫城(かけさこじょう)」の跡です。この山城の特徴は、かつて巨大な古墳があったことで、判明したのが1990年代初頭だということです。城の本丸や二の丸は古墳であったことが分かり、当時の姿はかなり大規模な古墳だったと推定されたそうです。
築城の年代ははっきりとは分からないそうですが、城主は備後の宮氏一族とのこと。この一帯の地名にもなっている「法成寺(ほうじょうじ)」は、宮氏の庶流(宮法成寺氏)が本拠を構えて支配しています。
記録によれば、戦国時代の1550年8月28日に、山陰の尼子氏(あまごし)に味方した宮法成寺氏と山口の大内氏による戦闘が勃発し、宮氏は尼子方の最前線となって戦ったそうです。
ところで、古墳の跡地に山城が築かれているパターンは、これまでに何度か見てきました。千葉県香取市の「小見川城」や、福井県の「金ヶ崎城」、「長篠・設楽原の戦い」での徳川家康本陣跡、群馬県の「山名城」などです。
古墳が作られたということは、おそらく土壌がしっかりとしていたはずで、そこに堅固な城砦を築こうとした意向も理解できます。実際、福山市の北部は標高100mほどの高台が東西に連なっており、川の氾濫源であった瀬戸内方面に比べて安定しており、城跡や古墳跡が多く残っていることでも、そのことがよく分かります。

さて、バイクを停めて徒歩で山を登ります。古いものの階段があるので安心して進むことができました。やがて開けた本丸と思われる郭部分に到着。2008年に作られた解説板の他に、木で作られた看板がありましたが、こちらは文字も消えかかっていました。
「宮周防守」と刻まれた石碑は、地元の人たちに「稲荷さん」として祭られているとのこと。さらに2カ所ある空堀跡も見ることができました。
山を下りて、せっかくなので古墳も見学します。こちらも案内板があり、迷わずに到着。5世紀の初め頃に作られたと考えられる全長約47mの前方後円墳です。
埴輪などは出土していないそうですが、銅鏡や鉄斧、邪馬台国卑弥呼が中国からもらったという説がある「三角緑神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」が出土されたようです。
「福山古墳ロード」という3種類の散策コースもあるので、古墳巡りをしてみるのも面白そうです。

















