「落ちない城」で人気!? 徳川の猛攻を弾き返した天下の名城「上田城」へ バイクで往く城跡巡り
日本でも有数の人気武将、真田昌幸が築いた「上田城」は、2度に渡る徳川勢の攻撃を受けても落ちなかった名城として知られています。「天下の名城」と呼ばれる城跡をバイクで訪れました。
「落ちない」にあやかって運気もアップ!!
長野県上田市にある「上田城址」は、1583年に真田昌幸(さなだまさゆき)によって築かれた城です。翌1584年、昌幸が徳川家康の命に従わなかったことから、大久保忠世(おおくぼただよ)、鳥居元忠(とりいもとただ)らが率いる8000もの大軍で攻められるものの、落とされることがなかったと言われています。
世間が抱く「真田=強い」という印象は、この城の強固さや息子の信繁(のぶしげ=別名:幸村・ゆきむら)が「大阪城」の南に築いた出城「真田丸(さなだまる)」の活躍によるところが多いのではないでしょうか。
知略に満ち、戦略に優れ、戦に強かった真田の「上田城」に、初めてバイクで訪れることができました。

1600年の「関ヶ原の戦い」で豊臣方(石田三成)の西軍に属した昌幸と信繁は、「上田城」に立て籠もって徳川家康の息子、秀忠(ひでただ)の3万8000もの大軍の西上を阻み、関ヶ原に辿り着かせなかったことも歴史上の大きな出来事として世に知られています。
現地に設置された解説板によると、「現在の三の丸は市街地として変わってしまったが、本丸と二の丸には土塁、石垣、濠跡が残り、特に本丸の東西虎口(こぐち=出入口)に三基の隅櫓(すみやぐら)と石垣が昔の姿を留めている」とのことです。
早速、二の丸橋から中に入ります。そこで視界に飛び込んできたのは、侵入した敵を四方八方から攻撃する、守りの構えの石垣でした。明治時代に一部取り壊されながらも現存する貴重な遺構で、現在は「入場ゲート」として機能しています。おそらく江戸時代前期に積まれたものとのこと。
右手に深そうな水堀を眺めながら歩くと、立派な東虎口櫓門の姿が見えてきます。ここには巨大な鏡石(かがみいし)、「真田石」と呼ばれている立派な石を見ることができました。有名武将の城の櫓にはよく見られるもので、石の大きさによって威厳を表すものです。

「上田城址」には現地の解説板が充実しているだけでなく、公式ホームページでもマニアックな石垣解説がされているので、石垣好きならばチェックしてから訪れた方が面白そうです。今回見逃したマニアックポイントが幾つかあったので、次回訪れるときは事前に確認しようと思います。
城内の「眞田神社」は、多くの観光客で賑わっていました。徳川軍を2度も跳ね返して「落ちなかった」ことにあやかり、受験生にも人気なのだとか。
城は現在も発掘調査が積極的に行われており、本丸櫓と武者溜り(むしゃだまり=城門近くの兵士の待機場)の復元計画や、城の資料募集に懸賞金総額500万円をかけたりと、なかなかやる気に満ちています。
歴史の面白いところは、発掘調査や古文書の発見などで新事実が明らかになっていくことです。過去に訪れた城の中にも、その後の発見で話題になったところもあります。
古の名城「上田城」の姿が明らかになっていく様子を、今後も見守りたいと思える城跡巡りでした。


















