決死の撤退戦!!「金ヶ崎の退き口」で一体なにが起きていた? 『豊臣兄弟!』ゆかりの地をバイクで巡る旅

2度に渡る激しい戦が繰り広げられた「金ヶ崎城」は、南北朝時代と戦国時代(1570年)に争奪戦と撤退戦の舞台となったことなどが解説板に記されれていた
2度に渡る激しい戦が繰り広げられた「金ヶ崎城」は、南北朝時代と戦国時代(1570年)に争奪戦と撤退戦の舞台となったことなどが解説板に記されれていた
天然の要害とされた「金ヶ崎城」だが、割となだらかで登りやすい。越前と若狭の国境にある難攻不落の山城「国吉城」を目指した家康にとっては、この城は安全領域ではなく素通りしたとの逸話もある
1336年、足利尊氏率いる北朝と激しい争いを展開した、後醍醐天皇の命を受けた新田義貞(にったよしさだ)は「金ヶ崎城」に入城して半年間足利勢と戦ったと言われている。結果、兵糧攻めで落城し、自害した後醍醐天皇の皇太子、尊良親王(たかながしんのう)の墓所とされている
本丸近くには古墳跡があり副葬品の刀などが出土したという。NHKの歴史番組では、朝倉氏はここは曲輪ではなく軍事施設として機能させていなかったのではないかという説を紹介していた
本丸近くには古墳跡があり副葬品の刀などが出土したという。NHKの歴史番組では、朝倉氏はここは曲輪ではなく軍事施設として機能させていなかったのではないかという説を紹介していた
決死の撤退時に家康達が籠ったのが、「金ヶ崎城」からバイクで20分ほどの距離がある「国吉城」だった。今まで訪れた中でも過去一と言えるほどの急勾配で、家康に「安全圏」とみなされただけあってキツかった!
決死の撤退時に家康達が籠ったのが、「金ヶ崎城」からバイクで20分ほどの距離がある「国吉城」だった。今まで訪れた中でも過去一と言えるほどの急勾配で、家康に「安全圏」とみなされただけあってキツかった!
「国吉城」の麓にある城主の居館跡付近には、自然石を巧みな技術で積み重ねた野面積み(のづらづみ)による石垣が残されている
以前、徳川家康ゆかりの地を巡るバイク旅で訪れた福井県敦賀市の「金ヶ崎城跡」。立派な解説板や駐車場が完備され、訪れる人も少なくないようだった
「金ヶ崎城跡」の「月見御殿」と呼ばれる断崖上からの眺め。現在は一部埋め立てられているが、かつては三方を海で囲まれていたという

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