「Ninja H2/H2R」ティーザー動画怒濤の26本!! 2014年カワサキはなぜ動画でプロモーションを行なったのか?
市販車で唯一、スーパーチャージドエンジンを搭載するカワサキ独自の新開発バイク「Ninja H2/H2R」は、2014年登場の際にティーザー動画を発信していました。いったいなぜなのか? 初期型オーナーの小林ゆきさんが、当時の様子を振り返ります。
実車が公表されるまでに10本、その後も続いた動画を一気に振り返る
2021年モデル以降は国内導入しないとアナウンスされ、その受注生産予約が2020年10月15日までとなった世界唯一のスーパーチャージドエンジンを搭載する市販車、カワサキ「Ninja H2 CARBON」と、クローズコース専用車の「Ninja H2R」……。
いまや「H2」シリーズは「Ninja H2 SX SE+」や「Z H2」にまで拡大され、次はどのようなバリエーションに展開されるのか、興味が尽きません(TESI H2も)。
しかし「H2」と「H2R」の登場は、じつにセンセーショナルでした。2014年、ヨーロッパの国際モーターサイクルショー「INTERMOT(インターモト:通称ケルンショー)」での発表に先立ち、1カ月前から10本のティーザー動画で少しずつ概要が明らかにされていきました。最初から外観を明らかにするものではなく、世界観をつむぎながら、10本目でようやく全貌が明らかになるという焦らしよう。
さあ、ここからは「Ninja H2/H2R」ティーザー動画の振り返り、11本目以降を一挙に見ていきましょう。
全容が明らかになり、ディテールから製造工程までも明かす動画に
Vol.10でついに全容が明らかになり、2014年9月30日ドイツのケルンで開催されたINTERMOTで発表されたのは、クローズドコース専用の「H2R」からでした。それゆえ10月6日に配信されたティーザー動画も、サーキット走行のシーンをまとめたもの。
しかし、どう見てもスーパーバイクレースなどに参戦するような外観ではなく、アンダートレイもない設計なので、サーキット=レースと思っている人たちにとっては「H2R」の意図がこの時点ではまだわからなかったかもしれません。
続いて2014年10月7日に配信されたVol.12のタイトルは「Twins」です。「Track or Street?」というダジャレ的なテロップとともに、一般公道用の「Ninja H2」は2014年11月4日イタリアのミラノで開催となるEICMAで発表されることが明らかになりました。
10月8日に配信されたVol.13では、冒頭にボーイングと思われる飛行機が登場し、ジェットエンジンのインペラが映されます。そして、ついにスーパーチャージャーの心臓部、インペラの構造が明らかになります。
エンジンの内部構造のイメージアニメーションでは、インペラが13万回転/分もの凄まじい回転数を発生することを見せつけました。さすがに新型エンジンの中身を見せる動画だけあって、視聴回数も第2の山を築き、18万回超となっています。
さらに10月9日に公開されたVol.14では、燃焼室が川崎重工業のグリーンガスエンジンの技術を応用していることが明らかにされます。グリーンガスエンジンとは、発電に使われる大きなガスタービンエンジンです。それをモーターサイクルに応用できるのは、世界中見回してもカワサキだけですね。
「H2」と「H2R」は正真正銘、バイクにとって新しいテクノロジーを搭載して登場するのだ、ということが伝わってくる動画です。
「Ninja H2/H2R」に盛り込まれた川崎重工業総出の技術はマシンだけに止まりません。10月10日に公開された「Vol.15」では、カワサキのロボットアームが登場します。パイプを格子状につなぐトレリスフレームは、このロボットアームがあってこそ生まれたもの。躯体側を回転させながらロボットアームが溶接を施していく場面は、まるで人間が命を吹き込んでいくかのようです。
工業用のロボットのパイオニアでもあるカワサキ40年の経験が、「H2」「H2R」のハイパフォーマンスを支えます。
ティーザー動画シリーズはスーパーチャージャーのパーツを見せるだけではなく、10月14日公開のVol.16ではインペラの切削行程をスローモーションも交えて見せています。他では真似できない、その自信の現れなのでしょう。
さて、ティーザーのナンバリングとしてはVol.17ですが、Vol.18より1日後の10月21日に公開されたのが電子制御系の紹介動画でした。
Vol.18ではシリンダーのホーニング過程が公開され、ついに熟練工による手作業の場面が登場します。
Vol.19もまた、なんらかの理由で公開の順番が変わり、ひと通りナンバリングされた動画が公開されたあとの11月13日公開となっています。エンジンのカットモデルが出てくるので、もしかしたら撮影が間に合わなかったのかも?と想像します。
Vol.20では世界初のミラー塗装、その塗布過程すら公開しています。塗装に限らず「Ninja H2/H2R」ではありとあらゆる部位の特許を取得しているはずですが、惜しげもなく公開しているのは、試乗会で体験してもらって広めるタイプの価格帯のマシンではないため、いかにそのエッセンスを擬似的に感じてもらうかをティーザー動画に込めたのでしょう。
すでにINTERMOTで「H2R」は公開されていましたが、一般的にはまだ目にすることはできません。写真で見るとシルバー色にも見える外装ですが、こうして動画で見ると、しっかり鏡面になっていることがわかります。
自社製品の紹介はVol.20までで、Vol.21からはKYBのフロントフォーク、オーリンズのステアリングダンパー、ブレンボのブレーキキャリパーなど、足まわりの社外部品を紹介しています。
ここまでのティーザー動画では工業用ロボットによる生産風景を紹介していましたが、そうは言っても手作業の部分は必要なわけです。Vol.22では人の手による溶接作業を、Vol.23ではエンジン組み立て工程などを紹介しています。
モーターサイクルの製造は通常、生産技術も社外秘の部分が多いはずなのですが、ここでも積極的に生産工程を見せています。
ちなみにVol.20とVol.22は同一内容の動画が後日あがっているのですが、理由はわかりません。またVol.21とVol.24も同一内容です。
バイク業界の手法では考えられなかったプロモーション
さて、2014年9月1日に始まった「Ninja H2/H2R」のティーザー動画は合計26本(実質23本)が公開され、その長さは約30分に達し、年をまたいで2015年1月7日には4分にまとめたダイジェスト版の動画も公開されました。
ここまで丁寧にひとつの車種を紹介するティーザー広告というのは、それまでのバイク業界には無かったチャレンジだったと思います。
スーパーチャージャーという、バイクにとって新たなるパワーユニットを積んだモデル。カワサキだからこそ実現したバイク以外の技術を盛り込むというチャレンジ。それらを従来の手法───メディアを集めて試乗会を行い、雑誌等にインプレッションを掲載してもらったり、一般ユーザーに短距離・短時間の試乗をしてもらうことで広めるというやり方───をしなかった、いや、できないモデルだからこそ、YouTubeというプラットフォームでの表現を選択したのだと思います。
かくして、全世界500台限定の予約販売とされた「H2R」は、世界中、誰もまたがったことも走らせたこともないモデルにも関わらず、あっと言う間に完売。公道仕様の「H2」も似たような状況で、日本国内へのデリバリーはすぐに予定台数に達したと聞きます。
そのうちの1台は、わたし(筆者:小林ゆき)の手元にあります。
それまで、長年乗っているカワサキ「GPz900R」に加えて“次世代のニンジャ”が出たら新型が欲しいな、と思っていたのですが、一連のティーザー動画を見て、これは歴史に刻まれる1台になる! と確信したからこそ、触ったことも跨がったこともないニューモデルを予約購入したのです。
かくして初代「Ninja H2」を手に入れたわけですが、もう、いまだにアバタがエクボ状態です。右足が熱いし、鬼パワーと直線番長に特化した足まわりは決して曲がりやすいわけではありません(その後のモデルでは出力特性とサスペンションセットの変更でかなり乗りやすくなりました)。
しかし、初期型ならではのミラー塗装やら、ひと目で「H2」だとわかる迫力ある造形は、いまでもバイクを停めただけで声をかけられたり、人だかりができるなどオーナー冥利に尽きます。
なにより、スーパーチャージャーの乗り味は乗ってみないとわからない面白さがあり、手に入れられて本当に良かったと思います。
2020年の今年、本来なら10月はドイツのINTERMOT、11月はイタリアのEICMAが開かれる予定でした。予定通りならば、さまざまなニューモデルがきらびやかなブースで登場してきたはずです。しかし、時代はニューノーマル。当分の間、大勢が一か所に集まる大規模イベントは行なえそうにありません。
だとすれば、「H2」「H2R」の一連のティーザー動画の展開は良きお手本となり、ドキドキワクワクさせるような動画が今後いっそう重要な役割を担うことになるでしょう。
【了】
Writer: 小林ゆき(モーターサイクルジャーナリスト)
モーターサイクルジャーナリスト・ライダーとして、メディアへの出演や寄稿など精力的に活動中。バイクで日本一周、海外ツーリング経験も豊富。二輪専門誌「クラブマン」元編集部員。レースはライダーのほか、鈴鹿8耐ではチーム監督として参戦経験も。世界最古の公道バイクレース・マン島TTレースへは1996年から通い続けている。