“腕上がり”はMotoGPライダーの職業病! スペインGPの勝敗を左右したその症状、そして手術方法とは?
スペインGPでトップを快走するファビオ・クアルタラロ(モンスターエナジー・ヤマハ・MotoGP)を“腕上がり”が襲い、ジャック・ミラー、フランチェスコ・バニャイアがワン・ツー・フィニッシュ(両者ともドゥカティ・レノボ・チーム)を決めた。レースの勝敗を左右したその症状、そして手術方法とは?
スペインGPの勝敗を左右した“腕上がり”
MotoGP・第4戦スペインGPは、2戦連続のポールポジションからスタートしたファビオ・クアルタラロ(モンスターエナジー・ヤマハ・MotoGP)が一旦スタートで順位を落とすも4周目にはトップへと浮上。第2戦ドーハGP、第3戦ポルトガルGPと同じく順調にラップを重ね、逃げ切りを図ったが、残り12周を残したところで突如“腕上がり”の症状が発生し、大幅にペースダウン。

最終的にドゥカティ・ファクトリーのジャック・ミラー、フランチェスコ・バニャイアがワン・ツー・フィニッシュ(両者ともドゥカティ・レノボ・チーム)を決め、失意のクアルタラロは13位完走に終わった。
勝ちパターンのレース展開から一転、クアルタラロの右前腕部を襲った“腕上がり”とは、果たしてどんなものなのだろうか?
医学用語では『コンパートメント症候群』
通称“腕上がり”は“アームパンプ”とも呼ばれ、レースファンの方たちも耳にしたことがあるかもしれないが、医学用語では『コンパートメント症候群』と称され、慢性コンパートメント症候群(CECS)と急性コンパートメント症候群(ACS)が存在する。
これは筋膜に覆われた、筋繊維、神経、血管によって構成される筋区画(compartment:コンパートメント)の内圧が上昇することによって起こる症状で、血液循環が低下し、筋繊維と神経に強い痛みを伴う。
筋繊維はその体積の最大20%まで膨らむ可能性があるが、筋膜は伸縮しないため、激しいブレーキングなどの負荷で血流が増加し、筋区画が膨張した場合、組織内部の筋繊維、神経、血管が圧迫され、手足のパフォーマンスが著しく落ちる。
シームレス・トランスミッションの採用により加速が向上するなど、年々スピードを増しているMotoGPではブレーキング時にかかる腕への圧力もそれに伴って増大しており、減速の際、ライダーにかかる重力加速度(G)も最大1.6Gに及ぶ。

1周あたり30回ブレーキングするとして、1レースにつき約600回、ライダーはこの作業をこなさなければならない。また、近年は空力付加パーツが標準化し、身体への負担も増えている。
活動を停止してからおよそ20分後には痛みが治まり、手足への長期的な影響がないとはいえ、数十分間にわたって熾烈な争いを繰り広げるレーシングライダーにとって、それが仮に一瞬だったとしても痛みやしびれによってマシンを思うように操れない瞬間があることは死活問題だ。
そのため、症状の緩和を目的に、多くのライダーは『筋膜切開術』と呼ばれる手術を受けている。
腕の筋膜に切れ目を入れる『筋膜切開術』
『筋膜切開術』は筋膜に切れ目を入れて筋区画内部の圧力を逃がす手術だが、この方法がパドックでおなじみになって久しい。
クアルタラロもスペインGPが終わってすぐの5月4日に手術したが、約2年前の2019年6月4日にも右前腕にメスを入れている。

一般人がこの手術を行った場合、回復まで6週間かかるが、レーシングライダーの場合、復帰までに要する期間はわずか2週間。回復期間を短くするために手術の手順が部分的に異なることも理由だといえるが、当時のクアルタラロも執刀から12日後にレースへと復帰した。
ホルヘ・ロレンソ、ケーシー・ストーナーといったかつてのチャンピオンから現在も各メーカーのテストライダーとして活躍するダニ・ペドロサ(KTM)、カル・クラッチロー(ヤマハ)、ステファン・ブラドル(ホンダ)、現役ではポル・エスパルガロ(レプソル・ホンダ・チーム)、中上貴晶(LCRホンダ・出光)と、ざっと思い浮かべただけですぐに多数の名前が挙がるが、実は今回優勝したミラーや若手のイケル・レクオーナ(テック3・KTM・ファクトリー・レーシング)もドーハGP直後に手術を受けている。また、今シーズン好調のアレイシ・エスパルガロ(アプリリア・レーシング・チーム・グレシーニ)もフランスGP後の手術を予定しているとのことだ。
このように数多くのライダーが前腕部に傷を持っていることから“ライダーズ・イニシエーション(initiation:通過儀礼)”と時に称される“腕上がり”だが、ヴァレンティーノ・ロッシ(ペトロナス・ヤマハ・セパン・レーシング・チーム)は悩まされた経験を持たないわずかなライダーのひとりだ。

長身痩躯の体型が幸いしているのか定かではないが、「バイクで速く走ると発生する可能性があるけど、この問題に悩まされないのは素晴らしいこと」と本人も幸運だと考えているようだ。
一般ライダーの場合、サーキットで連続走行するなど限られたシチュエーションを除いて症状が出る可能性はかなり低いと思われるが、もしワインディングロードで頑張り過ぎた際などに“腕上がり”が襲ってきた場合、すぐ休息を取って回復に努め、その後は前腕部に負担がかからないようにペースを落として走るようにするのが賢明だ。
【了】
Writer: 井出ナオト
ロードレース専門誌時代にMotoGP、鈴鹿8耐、全日本ロードレース選手権などを精力的に取材。エンターテインメント系フリーペーパーの編集等を経て、現在はフリーランスとして各種媒体に寄稿している。ハンドリングに感銘を受けたヤマハFZ750がバイクの評価基準で、現在はスズキGSX-R1000とベスパLX150を所有する。
Twitter:@naoto_ide