大阪府の飯盛山には、少し謎めいた「野崎城」があった バイクで往く城跡巡り
大阪府の大東市と四条畷市にまたがる飯森山には、「飯盛城」と「野崎城」というふたつの山城がありました。城史が明らかにされていない「野崎城址」をバイクで訪れました。
城の歴史は謎も多いが、城址は手入れが行き届いた親切な場所だった
大阪府の大東市と四条畷市をまたぐ飯盛山に位置する「飯盛城址(いいもりじょうし)」は、2021年に国史跡に登録され、地元では盛り上がりを見せています。一方、飯盛山の南西の尾根に築かれた「野崎城」は、城史が「飯盛城」ほど明らかにされていないためか、少し控えめな印象です。そんな「野崎城址」の麓近くまでバイクで訪れてみることにしました。

大阪府大東市の「野崎観音(慈眼寺)」の裏山に築かれた山城が「野崎城」です。標高は114.4mですが、周りは急峻な崖で、飯盛山からの尾根が突き出している地に建つため、かつては眼下の東高野街道の交通を掌握することができたそうです。
まずはバイクを通行の邪魔にならないところに置き、「野崎城」を目指して歩きます。すると「せせらぎの滝」という小さな滝や沢があるのですが、ここは1級河川「谷田川(たにたがわ)」の源流だそうです。季節によってはスミレの花が咲くようで、この小道を登っていくと「野崎城」の本郭(ほんぐるわ)に到着しました。そこは眺望広場となっていて、まさに眼下には東大阪の町並みを見下ろすことができ、汗ばんだ体をクールダウンしくれる爽やかな風が吹いていました。

そこに設置された案内板には「野崎城」の解説がありました。その内容を要約すると次の通りです。
・城域は南北約200m、東西180mと推定
・「野崎城」は南東側に堀切(ほりきり)を持つ本郭(ほんぐるわ)と、その西側の尾根斜面に三段に設けられた四つの郭(くるわ)から構成されている
・『太平記』によると、1348年の四條畷合戦において、北朝軍の縣下野守(あがたしもつけのかみ)がこの地に陣を置き、南朝軍の楠木正行(くすのきまさつら)と対峙した記述がある
・応仁の乱(1467年)以降の戦国期には、この地域でも頻繁に合戦が行われていた
・北東の山上に「飯盛城」が築かれた16世紀中頃以降は、その出城(でじろ)としての機能も有していたと考えられる

「野崎城址」はハイキング道が整備されているので、現在地の本郭から西側斜面の郭などを見ることにします。それぞれの郭は展望所として整備されていて、ハイキングを楽しむ地元の人たちの姿も見られました。
道中は岩石に囲まれるようなところで、一部にはまさに岩石を掘って作られたような細い道もあります。この道がいつ作られたのかは分かりませんでしたが、山城らしく、敵の侵入を妨ぐための道と思えば納得です。

河内国の守護、畠山氏の内紛の舞台とも言われている「野崎城」ですが、歴史的に不明な点も多いようです。少し謎めいた山城は想像力を高めてくれるので、それはそれでなかなか面白いものです。











