日本の自動車メーカーであるマツダ 当初はバイクを販売していた!?

ヨーロッパ車のような美しく流麗なデザインや、「人馬一体」と呼ばれる優れたドライビングフィールが特徴のマツダですが、実は、かつてバイクを販売していたことがありました。

輸入車にも負けなかった、マツダのバイク

 クルマとバイクは構造が近い部分もあるため、ひとつのメーカーがクルマとバイクの両方を販売しているという例は珍しくありません。国産メーカーでは、ホンダとスズキがその代表的な例ですが、実は、歴史をたどるとマツダもバイクを販売していたという実績があります。

1979年に発売されたサバンナRX-7(初代)
1979年に発売されたサバンナRX-7(初代)

 マツダと言えば、ヨーロッパ車のような美しく流麗なデザインに加え、「人馬一体」と表現される優れたドライビングフィールなどが特徴的なメーカーです。

 また、現在は販売されていませんが、世界に先駆けてロータリーエンジンの市販化に成功したメーカーでもあります。ロータリーエンジンを搭載した「コスモスポーツ」や「RX-7」は現在でも名車の誉れ高い1台となっています。

 ただ、マツダがバイクを作っていたという事実は、ほとんどの人にとってあまり聞き慣れないことです。いったい、どういった経緯で、マツダはバイクを販売することになったのでしょうか。

1920年に広島県広島市中島新町に設立された「東洋コルク工業」
1920年に広島県広島市中島新町に設立された「東洋コルク工業」

 マツダの源流は、いまからおよそ100年前の1920年に、広島県広島市中島新町に設立された「東洋コルク工業」にまでさかのぼります。創業当時の社長だった海塚新八氏はすぐに退任し、翌1921年3月に2代目社長へと就任した松田重次郎氏が、現在のマツダの基礎を築くことになります。

 設立当初はその社名のとおり、コルクの生産が事業の中心となっていました。しかし、1923年に発生した関東大震災や1925年に発生した工場の大規模火災の影響から業績が悪化した結果、コルクの生産以外に乗り出す必要が生じました。

1921年3月に2代目社長へと就任した松田重次郎氏が、現在のマツダの基礎を築いた
1921年3月に2代目社長へと就任した松田重次郎氏が、現在のマツダの基礎を築いた

 そこで松田重次郎氏は、おもに日本海軍を顧客とした機械事業への参入を図ります。1927年には社名を「東洋工業」へと変更し、軍需産業の高まりを追い風にして業績を伸ばしていくことになります。

 その一方で、海軍からの注文は時期によって大きな差があり、安定した売上を見込めないという課題が新たに起こりました。これを解決するためには、いわゆる「B to C」の製品、つまり、一般消費者に対して販売できる製品の開発が必要不可欠でした。

 当時は、トヨタや日産などといった現代の大手自動車メーカーが黎明期を迎えていた時でもあります。それまでも自動車自体は存在していましたが、フォードやGMなど海外製のものがほとんどであり、国力増強のためにも国産自動車の開発・生産が急務でした。

 松田重次郎氏はそうした世の中の流れを機敏に察知し、自動車の開発・生産に乗り出すことにしました。しかし、松田重次郎氏が賢明だったのは、最初から自動車をつくるのではなく、段階を踏むことでリスクを最小限に抑えようとしたことです。

1931年に発売されたマツダ初のオート3輪には「マツダ号」
1931年に発売されたマツダ初のオート3輪には「マツダ号」

 戦前のマツダは、自動車メーカーというよりも、当時需要の高かったオート3輪メーカーとして知られていました。このオート3輪の開発には、松田重次郎氏の長男である松田恒次氏が大きく関わっており、1931年に発売されたマツダ初のオート3輪には「マツダ号」の名が与えられました。

 マツダ号はまたたく間に大ヒットモデルとなり、海外へも展開されるほどでした。その勢いをもとに念願だった四輪車の開発・生産に乗り出そうとした東洋工業ですが、戦禍が激しくなったことからその目論見は一時中断をせざるを得なくなります。

 そして、戦後の1951年に松田恒次氏が社長に就任し、自動車の開発が再開されます。1958年には小型トラックを発売し、1960年には「R360クーペ」、1962年には「キャロル」を発売します。R360クーペとキャロルは大ヒットモデルとなり、その後マツダは急成長を遂げ、1982年には社名を「マツダ」とし、現在に至ります。

250ccの2ストロークエンジンのバイクは、6台の試作車が生産され、それとは別に30台が実際に市販された
250ccの2ストロークエンジンのバイクは、6台の試作車が生産され、それとは別に30台が実際に市販された

 このような歴史を持つマツダですが、バイクを販売していたのは1930年のことです。自動車の前にオート3輪の開発・生産を行うことにした当時のマツダでしたが、実はさらにその前にバイクをつくっています。

 250ccの2ストロークエンジンを持つこのバイクは、6台の試作車が生産され、それとは別に30台が実際に市販されたと言います。あくまで自動車開発のために1ステップでしかなかったこのバイクですが、当時の陸軍第5師団が主催する「招魂祭」の余興として開催されたバイクレースにおいて、数万人の観衆のなか、見事優勝を飾ります。

 ライバルとなっていたのはほとんどが輸入車です。なかでも、大本命とされていたイギリスの「アリエル」を追い抜いての優勝に、松田重次郎氏率いる開発陣は雄たけびを上げたと言います。ちなみに、このバイクを操っていたのは、広島市内の二輪車販売の店主だったようです。

 このマツダ製バイクの快挙は、当時輸入車が圧倒的な品質を誇っていたなかで国産車でも戦えるということを示した、日本のバイク史に残る重要なシーンだったと言えるでしょう。

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 このマツダ製バイクは、現在ではほとんど現存していないと言われています。ただ、現在のマツダのスピリットの原点が、このバイクにあることは間違いないでしょう。

【画像】二輪車も生産していたマツダの歴史を画像で見る(12枚)

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