落城悲話に古を偲ぶ……「小沢城」に残る姫の伝説 バイクで往く城跡巡り

日本に数多く残る城跡をホンダ「スーパーカブ」で巡る旅。神奈川県愛甲郡愛川町の相模川沿いにある「小沢城(こさわじょう)」を訪れました。

落城悲話が残る、「小沢城」を訪ねた

 山梨県と神奈川県を流れる一級河川「相模川」沿い、神奈川県愛甲郡愛川町には、「小沢(こさわ)城跡」が2カ所あります。ホンダ「スーパーカブ」に乗り、まずはそのひとつ「小沢古城」を訪れました。

「小沢古城址」は相模川に面した崖に築かれた城。現在はコンクリートで固められ、相模川に面する県道が築かれている。当時はまさに断崖絶壁だったことが想像できる
「小沢古城址」は相模川に面した崖に築かれた城。現在はコンクリートで固められ、相模川に面する県道が築かれている。当時はまさに断崖絶壁だったことが想像できる

 相模川にほど近いこの場所には、現在は諏訪神社が建てられています。入り口の看板には次のように記されていました。

「小沢には二つの城址があり、そのうちの一つは当地の豪族小沢(こさわ)氏の館跡である。

 小沢氏は、平安時代の末期から鎌倉時代にかけて活躍した武士団武蔵七党のうち、八王子を拠点として栄えた横山党の一族で、代々ここに館をかまえて支配した。対岸の田名氏、上流の小倉氏も共に横山党の一族であった。

 当方は断崖をもって相模川にのぞみ、西方は沢の渓流に接し、北方は三栗山の峰に連なり、南方は展望を良くしていた。館への入口は西方の沢に橋を架け、そこから登坂して正門に至ったという。(以下略)」

諏訪神社の裏山が「小沢古城」だが、山の中には立ち入ることができないので参拝だけして後にした
諏訪神社の裏山が「小沢古城」だが、山の中には立ち入ることができないので参拝だけして後にした

 鳥居をくぐり、階段を登って境内を散策します。城跡らしい遺構はそれほど見られませんが、案内板にあったように断崖絶壁、崖の真下に相模川があるだけで迫力を感じさせます。

 この城主である小沢氏は、1213年の「和田合戦」で和田義盛に加勢したものの敗北し、滅亡したとされています。

 その後、室町時代に金子掃部助(かねこかもんのすけ)という人物により、「小沢古城」から850m離れたところに「小沢城」が築城されました。

「小沢古城」から850mほど離れた場所に、金子掃部助により「小沢城」が築城された。1477年に太田道灌によって落城したと伝えられている
「小沢古城」から850mほど離れた場所に、金子掃部助により「小沢城」が築城された。1477年に太田道灌によって落城したと伝えられている

 こちらの案内板によると、金子掃部助は山ノ内上杉氏に従っていた長尾景仲(ながおかげなか)に連なる長尾景春(ながおかげはる)の家臣でしたが、1477年4月18日、扇ヶ谷上杉氏の執事である太田道灌(おおたどうかん)による攻撃(長尾景春の乱)で落城したそうです。

 山ノ内上杉氏と扇ヶ谷上杉氏は元々同族だったところ、分流して長きに渡り敵対、対立した家系です。

道端に佇む石像。戦国時代の激しい戦火があった土地には、今は静かな時間が流れている
道端に佇む石像。戦国時代の激しい戦火があった土地には、今は静かな時間が流れている

 この時の落城悲話というのは、城主である金子掃部助の娘の話です。年頃の姫には許婚も決まっていて挙式の晴れ着も用意されていましたが、そんな時に落城、一族郎党皆討ち死にとなりました。

 姫はあの世で許婚と添い遂げようと、晴れ着姿で崖から相模川に飛び込み、その瞬間、姫は大蛇となった、と言われる伝説です。

 神話と実話の境目はわかりにくいですが、落城の悲話は歴史として残り、現代人にも古を偲ぶきっかけを与えてくれているのではないでしょうか。

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