埼玉県狭山市にひっそりと遺る「城山砦跡」 バイクで往く城跡巡り
埼玉県川越市にある「河越城」(現川越城跡)を奪還すべく敷かれた狭山市柏原の「城山砦跡」は、畑と民家の間にひっそりと遺る、雑木林の小山でした。
畑と民家の間に残る雑木林は、砦の跡だった!?
埼玉県川越市にある「河越城」(現川越城跡)は、扇ヶ谷上杉氏が築城したものの、のちに北条氏によって奪われてしまいました。そこで上杉氏が奪還を目指すために敷いた砦が、今回訪れた「城山砦跡(しろやまとりであと)」と言われています。広大な農地と民家の間に挟まれるように残るこの林は、空堀などが明確に残る、まさに城跡でした。

かつて城下町だった現在の川越市は観光スポットとして人気があり、平日休日問わず観光客で賑わっています。
「河越城」を巡る争いは乱世の時代にふさわしく、相当激しいものだったようです。太田道灌(おおたどうかん)が築き、上杉氏の城だったところ、武蔵国を手中に収めようとしていた小田原の北条早雲(ほうじょうそううん)により、1537年に上杉氏は城から追放されてしまいます。
長年対立していた山ノ内・扇ヶ谷の両上杉氏がタッグを組んで奪還しようとするも、北条の奇襲「河越夜戦(かわごえよいくさ)」で撃退。約90年に及ぶ上杉氏による支配が終わり、後北条氏が制圧したのでした。

「城山砦跡」は埼玉県狭山市柏原にある砦跡で、現在の「川越城跡」とは10kmほど離れたところにありました。入り口の周りは広大な畑が広がり、反対側は民家が連なっています。一見すると雑木林の小山こそが、河越城奪還のための砦だったことが案内板を読んで知りました。要約すると次の通りです。
・江戸時代後期には「上杉砦」と呼ばれていた
・現存する面積は約7000㎡
・本郭(ほんくるわ)は崖面以外を高さ約3mの土塁で囲われ、外側には現存する深さが約3mの空堀がある(平成18年度の調査で、更に約2m深く掘られている形跡が確認された)
・堀の外側に高さ約1mの土塁状の高みが今でも確認できる
・堀の底や壁には、堀を掘ったときについたと考えられる鍬の痕も残っていたため、砦は造られて間も無く放棄された可能性がある
・平成22年度の小口部分の確認調査では、中世のカワラケ(小皿)の小破片が出土している

バイクを降りて砦跡を歩いてみると、稲荷大明神が視界に飛び込んできました。これは「二ノ郭(にのくるわ)」に建てられているものです。しっかりとお参りしてから、砦跡を散策します。
空堀は、現在は3mほどの高さとして残っていますが、当時は5mほどの高さがあったようです。その痕跡は明瞭で、保存状態の良さに驚きます。本郭とされているエリアも広く平面が取られており、分かりやすいです。
築城後まもなく放棄された理由は分かりませんが、手の込んだ作りであると感じました。

河越城奪還はならずとも、こうして遺構として現代にも残されている限り、上杉氏の反逆の息吹はこの地に遺っているのではないか……と思う城跡巡りでした。