雨の「足柄城址」はまさに雲の中の「霞城」!? バイクで往く城跡巡り

晴れていれば富士山も眺望できるという「足柄城」は、別名「霞城(かすみじょう)」とも呼ばれています。雨が降る日に訪れたところ、まさに霞がかかっていました。

ある意味ラッキーだったかもしれない、「霞城」の風景

 晴れていれば富士山も眺望できるという「足柄城」は、別名「霞城(かすみじょう)」とも呼ばれています。雨が降る日に「足柄城址」を訪れたところ、まさに霞がかかっていました。これもまた亡国ならぬ「亡城」の様相を呈していて、味わいのあるものでした。

雨に打たれながらたどり着いた「足柄峠」の「足柄城址」は、静岡県小山町と神奈川県南足柄市との境にあり、軍事的にも重要だった場所
雨に打たれながらたどり着いた「足柄峠」の「足柄城址」は、静岡県小山町と神奈川県南足柄市との境にあり、軍事的にも重要だった場所

「足柄城」は神奈川県と静岡県の県境となる「足柄峠」付近にあり、小田原後北条氏による築城とされています。

 かつて友好関係にあった今川氏、武田氏、北条氏が、その関係が険悪化して戦闘状態となり、「甲相駿三国同盟(甲斐=武田、相模=北条、駿河=今川)」によって不可侵同盟を結びますが、武田信玄の裏切りにより破綻……というように、国同士の緊迫感のある関係性だったようです。この「国」は、現在で言うところの山梨県、神奈川県、静岡県がそれに当たります。

広大な「一の郭」は、霧雨のなかで霞がかかっていた。まさに「霞城」の姿を見られて、ある意味ラッキーだったのかもしれない
広大な「一の郭」は、霧雨のなかで霞がかかっていた。まさに「霞城」の姿を見られて、ある意味ラッキーだったのかもしれない

 1571年に武田信玄が駿河の「深沢城」を無血開城した際に、北条綱成(ほうじょうつなしげ)がここ「足柄城」へ退却したとも言われています。

 その後、武田信玄、織田信長の死後、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原攻めの後に、「足柄城」は廃城となったようです。

「一の郭」と「二の郭」は土橋で繋げられていた。その間には堀切(ほりきり)と呼ばれる防御設備も見られる
「一の郭」と「二の郭」は土橋で繋げられていた。その間には堀切(ほりきり)と呼ばれる防御設備も見られる

 スーパーカブで雨に打たれながら「足柄峠」に到着すると、「足柄城址」の看板が見えました。階段が整備されており、本丸のある平地に向かうと、雑草などが刈られて美しく整備された丘陵地が広がっています。

 一の郭、二の郭、三の郭が分かりやすく並んでいて、とても歩きやすく、構造も理解しやすいものでした。二の郭と三の郭の間には空堀が残っています。

 郭などの看板の文字がかすれて読みづらかったものの、全体的に整備されていて散策しやすい城跡でした。天気の良い日はお弁当でも持って訪れ、富士山を眺めたり、ゆっくり寛ぎたくなるような場所です。

「二の郭」と「三の郭」へ、土橋を渡り歩みを進める。両郭の間には明確な空堀(からぼり)の跡が保存されていた。「四の郭」、「五の郭」へは足場が悪く、視界も良くなかったので断念
「二の郭」と「三の郭」へ、土橋を渡り歩みを進める。両郭の間には明確な空堀(からぼり)の跡が保存されていた。「四の郭」、「五の郭」へは足場が悪く、視界も良くなかったので断念

 しかしながら「霞城」という呼称を象徴するような霧雨の情景も、山城の風景としてはとても印象的でした。いずれにしても山城廻りは不整地を歩くことになるので、足元などには十分注意しながら巡りたいものです。

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