家康愛に満ちた「岡崎城」 大河ドラマ放送開始に向け大改修中 バイクで往く城跡巡り

2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』は、人気アイドルグループ「嵐」の松本潤が徳川家康を演じることもあり話題になっています。バイクで家康公ゆかりの地、大改修中の「岡崎城」を訪れました。

『どうする家康』放送開始に向けて大改修中

 2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』は、人気アイドルグループ「嵐」の松本潤が徳川家康を演じることもあり話題になっています。バイクで家康公ゆかりの地、大改修中の「岡崎城」を訪れました。

「岡崎城」の城跡は「岡崎公園」として整備されており、「日本さくら名所100選」にも選ばれている。写真とは別の場所に2輪専用の無料駐車場がある
「岡崎城」の城跡は「岡崎公園」として整備されており、「日本さくら名所100選」にも選ばれている。写真とは別の場所に2輪専用の無料駐車場がある

 1560年5月18日、織田信長の包囲網を突破して「大高城」へ兵糧を運び入れることに成功した松平元康(のちの徳川家康)や今川軍は、織田が築いた丸根砦(まるねとりで)や鷲津砦(わしづとりで)を攻め落としました。しかし翌19日、「桶狭間(おけはざま)の戦い」で今川義元が織田信長に破れると、家康は急遽ピンチに陥ります。

「海道一の弓取り」として現代でもなお尊敬の念を持って語られることの多い今川義元の大軍が、まさか当時27歳の織田の少数軍に敗れるとは思いもしなかったことでしょう。

 それを聞いた家康は義元の死を疑っていたと言いますが、その事実を確証し、19日の夜「大高城」を脱出します。

「岡崎公園」に置かれた「しかみ像」の石像。浜松の三方ヶ原の戦いで武田軍に大敗北し、自戒の念として家康が描かせたと言われる肖像画を基にしている。顔をしかめて苦渋の表情を表す姿は、のちに平和国家を創り上げた礎になったと言われている
「岡崎公園」に置かれた「しかみ像」の石像。浜松の三方ヶ原の戦いで武田軍に大敗北し、自戒の念として家康が描かせたと言われる肖像画を基にしている。顔をしかめて苦渋の表情を表す姿は、のちに平和国家を創り上げた礎になったと言われている

 道中いくつかの危機を乗り越え、愛知県岡崎市の「大樹寺(だいじゅじ)」に到着。この時に住持の登誉上人(とうよしょうにん)から、有名な「厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)」と諭されたと言われています。

「戦乱の俗世を平和な浄土に変えなさい」というこの言葉は、その後の家康の訓示として強く残りました。

 さて、今川兵が逃げ去った後の「岡崎城」に家康が帰還を果たしました。1542年にここで生まれた家康が、故郷に帰ってきたのでした。家康を象徴する建物と言えば「日光東照宮」や「浜松城」なども有名ですが、この「岡崎城」は、まさに家康ゆかりの城なのです。

残念ながら「岡崎城」自体も工事中で中に入ることはできなかったが、外から眺める天守閣も見事
残念ながら「岡崎城」自体も工事中で中に入ることはできなかったが、外から眺める天守閣も見事

「岡崎城」の城跡を公園にした「岡崎公園」を訪れた時は、大河ドラマ放送開始を前に、敷地全体が改修工事を行なっていました。『どうする家康 岡崎 大河ドラマ館』は2023年1月21日にオープンするそうです。

 土産店や案内所、多目的広場、バス駐車場も工事整備されており、城自体へも入館できず、外から眺めるだけでした。しかしそれでも、往時のまま残存する高さ10mを超える石垣など、見どころはたくさんあります。

 城の歴史が記された説明板を読むと、15世紀中頃にこの地に初めて砦を築いたのが原点とのこと。その後、家康は1570年に「浜松城」へ移転するまで「岡崎城」を本拠地としていますが、江戸時代にも城郭、城下町の整備が行なわれたと言われています。

「持仏堂曲輪腰巻石垣(じぶつどうくるわこしまきいしがき)」は、江戸時代前期に構築された石垣。角は長辺と短辺が交互に配置された算木積み(さんぎづみ)。ノミの跡も見られる
「持仏堂曲輪腰巻石垣(じぶつどうくるわこしまきいしがき)」は、江戸時代前期に構築された石垣。角は長辺と短辺が交互に配置された算木積み(さんぎづみ)。ノミの跡も見られる

 その江戸時代前期に構築された石垣「持仏堂曲輪腰巻石垣(じぶつどうくるわこしまきいしがき)」など、イラスト入りの説明板もあり、石垣ファンにはたまらないと言えるでしょう。

 2023年1月より放送開始の大河ドラマも楽しみですが、改修後の「岡崎城」もまた、新たな歴史を刻み始めることでしょう。

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