家康公ゆかりの地をバイクで巡る旅 運命を大きく変えた「桶狭間の戦い」の舞台とは

2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』では、人気アイドルグループ「嵐」の松本潤が徳川家康を演じることもあり、家康ゆかりの地も話題となっています。家康の運命を大きく変えた「桶狭間の戦い」の古戦場をスーパーカブで訪れました。

家康の活躍も空しく? 敗れた今川と織田の姿

 2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』では、人気アイドルグループ「嵐」の松本潤が徳川家康を演じることもあり、家康ゆかりの地も話題となっています。家康の運命を大きく変えた「桶狭間の戦い」の古戦場を訪れました。

ホンダ「スーパーカブ」で「桶狭間古戦場公園」にやってきた。民家に囲まれた普通の公園に見えるが、ここは日本の歴史を大きく変えた桶狭間の古戦場
ホンダ「スーパーカブ」で「桶狭間古戦場公園」にやってきた。民家に囲まれた普通の公園に見えるが、ここは日本の歴史を大きく変えた桶狭間の古戦場

 幼少時より今川家の人質となり、1560年6月12日に今川義元(いまがわよしもと)と織田信長(おだのぶなが)が争った「桶狭間の戦い」では、今川方から信頼の置ける若手武将の1人として、19歳の松平元康(まつだいらもとやす、のちの徳川家康)が先鋒を切って活躍したと言います。戦の結果は、織田の奇襲が成功して今川は大敗しました。

 この「桶狭間(おけはざま)」という土地はどんなところなのか、機動力に優れるスーパーカブで訪ねてみました。

 合戦の舞台となったのは、尾張国知多郡桶狭間です。古戦場ゆかりの「桶狭間古戦場公園」(愛知県名古屋市緑区桶狭間北3丁目1001)に並ぶ織田と今川の銅像が有名ですが、この辺り一帯に、戦地としての記録が残されており、ゆかりの地などが住宅エリアの中に点在していました。

勝者の織田信長(左)と並ぶ今川義元の像(右)。むしろ信長よりも堂々としているようにも見える。勝者敗者関係なく地元に扱われているのは、地元と今川との良好な関係や、戦後の信長による敗兵に対する処置の影響も大きかったのかもしれない
勝者の織田信長(左)と並ぶ今川義元の像(右)。むしろ信長よりも堂々としているようにも見える。勝者敗者関係なく地元に扱われているのは、地元と今川との良好な関係や、戦後の信長による敗兵に対する処置の影響も大きかったのかもしれない

 こんな時はスーパーカブのようなコンパクトなバイクの移動が大変便利だと再認識しました。ただし、最初に訪れた観光案内所には駐車場もありますので、そこから歩いて散策するのが王道の楽しみ方でしょう。

 この戦いの模様は、観光案内所で見せてもらえるビデオや、公園内の様々な説明板で知ることができます。その概要を要約すると次の通りです。

・「桶狭間の戦い」は永禄3年5月19日(1560年6月12日)に、尾張の領主=織田信長が、駿河・遠江・三河の領主=今川義元率いる10倍以上(2万5000人)の大軍を打ち破り、近世の時代の幕を開けた戦いである

・今川義元は5月18日に「沓掛城(くつかけじょう)」、19日に「大高城(おおだかじょう)」に向けて出発し、「おけはざま山」の陣地に入る

・前哨戦として家康は織田の包囲網の中、「大高城」への兵糧入れに成功。織田が設営した「鷲津砦(わしづとりで)」、「丸根砦(まるねとりで)」は今川方により撃破される

・今川義元はそれらの戦果を聞き、(おそらく安堵しながら)休息していたが、昼頃天気が急変して雷雨になり、今川軍本体は大混乱状態へ

・織田信長は午前4時「清洲城」で「鷲津砦」、「丸根砦」の攻撃の報告を聞き、能の「敦盛(あつもり)」を舞い出陣。8時頃熱田神宮で戦勝祈願、10時頃に善照寺砦に着き、本陣ここにありと見せかけておいて、雷雨の中を今川義元本陣近くの釜ヶ谷に進み、雨が止むと同時に突撃して義元を打ち取った

・家康は今川敗退の報を受けて脱出、生まれ育った「岡崎城」へ帰還を遂げる

「桶狭間の戦い」の足跡を示したマップ。歩いて回れる距離なので散策を楽しむ人も多いはず。家康の軌跡も紹介されている
「桶狭間の戦い」の足跡を示したマップ。歩いて回れる距離なので散策を楽しむ人も多いはず。家康の軌跡も紹介されている

 この地を訪れて印象的だったのは、敗将今川の扱いの丁寧さです。織田信長は今川の戦死者を手厚く葬ったと言います。「七ツ塚」として、今でも地元の人々によって丁重に弔われていることを知りました。

 織田信長と並び立つ今川義元の銅像も堂々たるものでした。戦争の歴史は勝者が語り継ぎ、滅亡した今川家からは当時を語り継がれる手段がない中、後世の人々の知識や価値観にまで大きな影響を与えているだけに、今川に対して行なった弔いの意味は小さくなかったと言えるでしょう。

 また、現地を訪れて実感したことではありますが、近隣の「長福寺」をはじめ、今川義元が地元からの敬愛を集めていた対象であったことも見逃せない要素です。

戦の後、信長の命令により今川義元をはじめ敗兵たちは丁寧に葬られたと言う。「駿公墓喝(すんこうぼけつ)」は1953年に発見されたもの。当時の村人が敗軍の将をひっそりと供養するために埋めていたと思われる
戦の後、信長の命令により今川義元をはじめ敗兵たちは丁寧に葬られたと言う。「駿公墓喝(すんこうぼけつ)」は1953年に発見されたもの。当時の村人が敗軍の将をひっそりと供養するために埋めていたと思われる

 この公園は「桶狭間古戦場ジオラマAR劇場」として機能しており、スマホにアプリを入れると信長、義元、家康の進軍路や城、砦の位置関係、合戦の状況の動画を見ることができます。家康が活躍した「鷲津砦」や「丸根砦」もジオラマとして取り込まれています。

 また、実際に家康が通った道も現存しています。現在は公園の周りはほぼ住宅街となっておりますが、昭和40年代までは開発されておらず、当時の面影を残した田野風景だったそうです。バイクで走りながら、そんな情景を思い浮かべました。

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