多くの史跡と伝統が息づく「世田谷城」の城下町を散策 バイクで往く城跡巡り

東京都世田谷区豪徳寺にある「世田谷城址公園」の周囲一帯は、かつて吉良氏が居城し発展を遂げた城下町として、いまでも区民や観光客に親しまれています。スーパーカブで「世田谷城址公園」周辺の史跡を巡ってみました。

意外とたくさんあるモンだ!? 世田谷の史跡を巡り歴史を知る

 東京都世田谷区豪徳寺にある「世田谷城址公園」の周囲一帯は、かつて吉良氏が居城し発展を遂げた城下町として、いまでも区民や観光客に親しまれています。スーパーカブで「世田谷城址公園」周辺の史跡を巡ってみました。

鎌倉幕府を築いた源頼朝の祖先にあたる義家が、世田谷の住民に八幡大神を祀らせたのが由来と言われる「世田谷八幡宮」は、安産祈願や厄除祈願など、多くの参拝者が訪れる。駐車場は道路向かいにあり、バイクはそちらに停めてから参拝した
鎌倉幕府を築いた源頼朝の祖先にあたる義家が、世田谷の住民に八幡大神を祀らせたのが由来と言われる「世田谷八幡宮」は、安産祈願や厄除祈願など、多くの参拝者が訪れる。駐車場は道路向かいにあり、バイクはそちらに停めてから参拝した

 吉良家と言えば「赤穂浪士の討ち入り」の吉良上野介(きらこうずけのすけ)で有名な家柄ですが、こちらは三河吉良家と呼ばれる家系で、「世田谷城」を居城としていた吉良氏は奥州吉良家と呼ばれる家系だそうです。1338年に室町幕府を作った足利家の一門であった吉良家はその後、世田谷郷を与えられます。

 吉良家の居館であったとされる「豪徳寺」や、現在の「世田谷城址公園」、さらにその周囲一帯が城として機能し、発展していたようです。戦国時代になると北条家と縁戚関係を結びますが、この結果、豊臣秀吉による北条小田原攻めの影響を受け、城は放棄され廃城に至ったとのこと。

 しかし広大な「豪徳寺」をはじめ、吉良氏にゆかりのある「世田谷八幡宮」、江戸時代の「世田谷代官屋敷」など、多くの史跡が現存しています。「世田谷城址公園」周辺は散歩コースとしても整備され、休日ともなると多くの参拝者で賑わっています。訪れたときは春の到来を感じさせる梅の花が咲き始め、コロナ禍を経たいま、海外からの観光客も多く見られました。

125kgもある力石は、日頃農業で米俵を持つことに慣れていた力自慢の若者が、祭りで石担ぎをして奉納したものだとか。石は全部で16個ある
125kgもある力石は、日頃農業で米俵を持つことに慣れていた力自慢の若者が、祭りで石担ぎをして奉納したものだとか。石は全部で16個ある

 まず最初に訪れたのは「世田谷八幡宮」です。1091年、戦に勝利した源義家が帰路の途中で滞在した世田谷の里に、日頃から崇敬し戦勝をもたらせた八幡大神のご加護を住民に祀らせたのが由来とのこと。

 その際、兵たちに力比べとして相撲を取らせており、これが現在も続く奉納相撲に繋がっているのだとか。1546年には世田谷城主の吉良頼康(きらよりやす)による社殿修築が行われています。また、江戸時代には徳川家康より社領十一石を寄進されているようです。

「世田谷城」と隣接する「豪徳寺」は城の本丸であり、吉良氏の館であったとも言われています。1480年に「弘徳院」として建立されましたが、その後、世田谷は井伊家の所領となり、二代目の井伊直孝(いいなおたか)の代に「豪徳寺」と改称されて現在に至るようです。

「世田谷城址公園」の北にある「豪徳寺」は、井伊直孝の招き猫伝説以来、招き猫を祀る風習がいまに伝わる。寺にはおびただしい数の招き猫が
「世田谷城址公園」の北にある「豪徳寺」は、井伊直孝の招き猫伝説以来、招き猫を祀る風習がいまに伝わる。寺にはおびただしい数の招き猫が

 直孝は徳川家康に仕え、関ヶ原の戦いでの勝利に貢献した井伊直政の嫡男で、自身も大阪夏の陣で功績をあげています。直孝が鷹狩りをしていた時に、住職の愛猫「たま」の招きで落雷をまのがれたという伝説があり、招き猫への参詣者が増えたのだとか。現在でも「豪徳寺と言えば招き猫」というくらい有名です。

「世田谷代官屋敷」は世田谷城主の吉良家の重臣、大場氏による代官役所です。江戸中期に作られた代官所は茅葺の表門、土蔵、白州跡などが現存しています。

 この一帯は毎年12月と1月の15・16日に「世田谷のボロ市」が開催され賑わいます。1578年に小田原北条氏が世田谷に楽市(税を免除した自由な行商が認められた市)を開いたことから始まり、徳川時代、明治時代へと受け継がれ、「ボロ市(古着やボロ布の扱いが主だった)」と名付けられました。今も毎年多くの客が訪れる一大イベントとなっています。

東京都指定史跡の「世田谷代官屋敷」は、時代劇で有名な白州の跡なども現存されている
東京都指定史跡の「世田谷代官屋敷」は、時代劇で有名な白州の跡なども現存されている

 豊臣秀吉による北条攻めや、徳川の時代から明治時代、そして戦後から現在に至るまで、長い年月を経てもなお、世田谷城とその城下町の史跡や伝統がしっかりと息づいている。そんなことを感じたバイク散策でした。

【画像】都内に残された現在の「世田谷城」周辺の史跡を詳しく見る(15枚)

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