家康公ゆかりの地をバイクで巡る旅 決死の撤退「金ヶ崎の退き口」の舞台「国吉城」は難攻不落の山城だった!

NHK大河ドラマ『どうする家康』では数々の困難やピンチが描かれています。「金ヶ崎の退き口(かねがさきののきくち)」もそのひとつで、敵国へ深く攻め入っていた徳川家康は決死の撤退を強いられ、「超難攻不落の城」と言われる「国吉城(くによしじょう)」まで逃げのびる必要がありました。スーパーカブで実際に城址を訪れてみると、その厳しさ、急勾配は相当なものでした。

実際に歩いて納得、難攻不落とはこのことか!

 NHK大河ドラマ『どうする家康』では、徳川家康が体験した数々の困難やピンチが描かれています。「金ヶ崎の退き口(かねがさきののきくち)」もそのひとつです。背景となるのは織田信長による朝倉義景(あさくらよしかげ)征伐の戦で、浅井長政(あざいながまさ)の盟約破棄により事態は急転、大ピンチに見舞われます。中でも先鋒を務め敵国へ深く攻め入っていた徳川家康は、何としても「国吉城(くによしじょう)」まで逃げのびる必要があったのです。

「国吉城址」の看板の前で撮影し、駐車場にバイクを停めてから城を登った。看板には麓から本丸まで徒歩30分とあった
「国吉城址」の看板の前で撮影し、駐車場にバイクを停めてから城を登った。看板には麓から本丸まで徒歩30分とあった

 1570年4月20日、織田信長が朝倉義景(あさくらよしかげ)の討伐のために3万もの軍勢を率いて出陣し、その中には木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)、徳川家康、明智光秀もいて、まさにスター級武将が勢揃い。先鋒を務めた家康は大躍進し、藤吉郎も「金ヶ崎城」を制覇して敦賀(つるが)を占領。家康はさらに奥へ進み、朝倉の本拠である「一乗谷(いちじょうだに)」へ一気に攻め込む筋書きでした。

 しかし、信長と同盟を結んでいた浅井長政(あざいながまさ)が盟約を破棄し、朝倉へ寝返ります。

 浅井は信長の妹「お市」の婿であり、浅井と朝倉に挟み撃ちにされた信長に対して、お市は両端を縛った袋の中に兄の好物である小豆を入れて送り、挟み撃ちにされる危機を伝えたという逸話も残されています。

 危機を察した信長はその状況を家康に知らせることもなく(慌てて?)京へ撤退してしまいました。「信長の非道ぶり」を感じさせるこのエピソードに関して、NHKの歴史番組『英雄たちの選択』では、秀吉や家康に生き残りゲームを課した信長の思惑があったのではないか、などという意見もあり、どう見るかによって変わってくるのも歴史の面白いところ。大河ドラマ『どうする家康』では、どう描かれるのでしょうか。

途中で何度も立ち止まって息を整えながら登り切った本丸からは、敦賀の眺望が開けて爽やかな風が吹いていた。まさに難攻不落の城
途中で何度も立ち止まって息を整えながら登り切った本丸からは、敦賀の眺望が開けて爽やかな風が吹いていた。まさに難攻不落の城

 危険な地帯まで攻め込んでいた家康は決死の撤退となり、安全領域と言える越前と若狭の国境にある難攻不落の山城「国吉城」を目指します。

 その途中、藤吉郎が「金ヶ崎城」に残り、殿(しんがり)を務めたというエピソードがありますが、「金ヶ崎城」は籠城に適さない場所とみた家康は素通りして「国吉城」へ向かったと言われています。その際、家康は城から近くの黒浜という海岸で、敵に潰されそうになっていた藤吉郎を見捨てずに救います。その理由は、仲間を見捨てたと知った信長にどんな目に遭わされるか知れたものではないという、消極的なものだったようです。

 しかし結果として、のちの豊臣秀吉となる藤吉郎は家康への信頼を深め、感謝の念を忘れませんでした。死ぬ間際には家康に対して、愛息子の「秀頼のことを頼む」という言葉も残っています。これが秀吉亡き後の家康の存在感を高め、天下統一への足がかりになったであろうことは皮肉というか、家康の「損をして得をとる」強さと抜け目のなさも感じさせ、非常に感慨深いものがあります。

約500mの道のりは過酷な登り急勾配だった。体力に自信がある人向けの山城と言えるだろう
約500mの道のりは過酷な登り急勾配だった。体力に自信がある人向けの山城と言えるだろう

 さて「国吉城址」に到着し、スーパーカブを停めて徒歩で頂上の本丸を目指します。しかしこれが相当キツいものでした! いままで登った山城の中でもトップクラスの急勾配にたじろぎ、何度も立ち止まっては息を整える羽目になりました。歩きやすいよう階段が整備されていますが、それでも厳しくてめげそうになりました。鎧をつけて登るなど考えられません! これはまさに「超難攻不落」の城です。

 朝倉も当然それを熟知しているでしょうから、ここまで逃げられたらもう攻められないのです。

 なんとか無事に撤退した家康、信長、藤吉郎は朝倉の追撃をかわし、その後の「姉川の戦い」をきっかけに、両氏を滅亡に追いやりました。

本丸の手前には尾根を断ち切って敵を足止めする堀切(ほりきり)の跡が残されている。本丸に続く5段の「連郭曲輪群(れんかくくるわぐん)」があり、鉄壁の防御施設としての姿が露わになっている
本丸の手前には尾根を断ち切って敵を足止めする堀切(ほりきり)の跡が残されている。本丸に続く5段の「連郭曲輪群(れんかくくるわぐん)」があり、鉄壁の防御施設としての姿が露わになっている

「国吉城址」には当時の石垣が多数残されており、連郭曲輪群(れんかくくるわぐん)など往時の様相が克明に残されているので、山城好きにはオススメです。

【画像】家康公ゆかりの地、難攻不落「国吉城址」を詳しく見る(23枚)

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