10代で初陣は当たり前 戦国武将の息子たちの本陣へ 家康公ゆかりの地をバイクで巡る旅

「長篠城」を巡り設楽原を舞台に繰り広げられた武田軍と徳川・織田連合軍の合戦「長篠・設楽原(ながしの・したらがはら)の戦い」では、家康の嫡男、信康(のぶやす)と、信長の嫡男である信忠(のぶただ)も、それぞれ本陣を構えていました。そんな「息子たちの本陣」をスーパーカブで訪れました。

戦国武将の息子たちもまた、血塗られた時代に生きていた

 徳川家康と築山殿(瀬名)との間に生まれた信康(のぶやす)は、NHK大河ドラマ「どうする家康」では細田佳央太(ほそだかなた)さんが演じています。1573年の17歳で初陣を果たし、1575年には「長篠・設楽原(ながしの・したらがはら)の戦い」で大将として参加。のちに武田との内通を信長に疑われ、父である家康の命令で殺害される悲劇の武将ですが、かなりの実力者で将来を期待されていた存在でもあったようです。

「長篠・設楽原の戦い」では家康の本陣の後方に、嫡男である信康の本陣があった。本陣跡に設置された解説板によると、「浜松城」の家康と「岡崎城」の信康が三河から遠州を抑えていたため、信康は「岡崎信康」と呼ばれていたそうだ
「長篠・設楽原の戦い」では家康の本陣の後方に、嫡男である信康の本陣があった。本陣跡に設置された解説板によると、「浜松城」の家康と「岡崎城」の信康が三河から遠州を抑えていたため、信康は「岡崎信康」と呼ばれていたそうだ

 そんな信康の本陣跡へ、スーパーカブで訪れました。場所は家康の本陣から後方の「松尾神社」で、まさに父の背中を見る場所での陣構えです。一歩下がって父の戦いぶりを見て、色々なことを学んだのかもしれません。

「松尾神社」には家康ゆかりの地として看板やのぼりが立っていました。解説板によると、さらに後方の「天神山」に信長の嫡男、信忠(のぶただ)の本陣があります。この布陣を見る限り、家康本陣という大きな盾があるようにも思えますが、仮に家康隊が武田軍に抜かれたら、彼ら息子たちが武田軍と対峙することになるので、相当な覚悟もあったのではないか、とも思いました。

「松尾神社」の鳥居をくぐり参拝を済ませ、今度は当時19歳だった信忠の本陣である「天神山」へ向かいました。

「松尾神社」の鳥居をくぐり、苔むした石段を登って行く。民家が近くにあるが、鳥居をくぐった瞬間から静謐な時間が流れているように感じた
「松尾神社」の鳥居をくぐり、苔むした石段を登って行く。民家が近くにあるが、鳥居をくぐった瞬間から静謐な時間が流れているように感じた

 信忠は信長の血を受け継いだ勇猛な武将として知られています。1572年に初陣を果たし、ここ「長篠の戦い」で勝利を収めた後、そのまま岐阜県の「岩村城の戦い」で総大将に任命され、「岩村城」を落とすことに成功しています。

 少し話がずれてしまいますが、この「岩村城」の話は、かなり凄惨です。

「長篠の戦い」以前、織田と武田の領国の境である岐阜県恵那市の「岩村城」では攻防戦が続いており、武田信玄に仕えていた秋山信友(あきやまのぶとも)が「岩村城」を攻撃していました。

 この時すでに、城主である夫を亡くして未亡人となっていたのが信長の叔母(おつやの方)であり、信長の五男、御坊丸(ごぼうまる)を養子としていました。

 おつやの方は、とても城を守りきれず秋山の策略に乗って政略結婚することになります。これが「自分と結婚して、御坊丸を養子として家督を譲る」というものでした。しかし秋山は信玄に仕える立場上、信長の叔母と結婚した引け目からか、7歳の御坊丸を人質として信玄の元へ送ってしまいます。

 これに対して信長は激怒します。

信康の本陣のさらに後方、天神山の「野辺神社」に信忠の本陣跡がある
信康の本陣のさらに後方、天神山の「野辺神社」に信忠の本陣跡がある

 そんな経緯もあり、「長篠の戦い」の勝利に乗じて信忠に城を奪還させた信長は、恨みを抱いていた秋山と叔母であるおつやの方を逆磔(さかさはりつけ)の刑で殺害したのです。その際おつやの方は「女の弱さのためにしたことだが、自分の叔母に対してこんな非道を行なえば、必ず因果の報いを受けるぞ!」と絶叫ののちに果てたそうです。

 自分の敵を全て殺害して除去する信長と、「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど・ごんぐじょうど)」(穢れたこの世の中を厭い離れて、平和な極楽浄土を願い求める)を座右の銘とした家康では、同盟を結んでいたとはいえ、根本的に人間性が異なるように思えます。

階段を上り「野辺神社」の鳥居をくぐると社殿があった。振り返れば、山の上から見下ろす陣地であったことが想像できる
階段を上り「野辺神社」の鳥居をくぐると社殿があった。振り返れば、山の上から見下ろす陣地であったことが想像できる

 家康は1582年に武田勝頼滅亡の地に「景徳院」を建て、勝頼や武田氏の死者を弔っています。

 話が脱線しましたが、何れにしても戦国の世は血塗られた時代であることに違いありません。信康も4年後に父親の家康に自害させられ、信忠も7年後の「本能寺の変」で、短い生涯に幕を閉じています。

【画像】家康公ゆかりの地、「息子たちの本陣跡」を巡る(15枚)

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