家康公ゆかりの地をバイクで巡る旅 秀吉を寄せ付けなかった「小牧山城」の二重土塁と堀に感嘆!
1584年に起きた「小牧・長久手(こまき・ながくて)の戦い」では、織田信雄(おだのぶかつ)と徳川家康が「小牧山城」で羽柴(豊臣)秀吉と激しい戦いを繰り広げました。戦の名手である秀吉をも寄せ付けなかった「小牧山城」の二重の土塁と堀はまさに壮観、その遺構をスーパーカブで訪れました。
秀吉も手を出せなかった!? 「小牧山城」の防御力に感動
1563年に織田信長(おだのぶなが)が築城した「小牧山城」は、信長が「清洲城」から居住し、愛知県小牧市にある小牧山に築いたものです。山頂に石垣を用いるなど画期的な城だったようですが、1567年に岐阜へ居城を移したために早くも廃城。しかし、城下町も整備されていたことから、この地はその後も町として成立していたようです。「小牧山城」の史跡を見るためにスーパーカブで訪れました。

1584年に羽柴秀吉軍と織田信雄・徳川家康軍による「小牧・長久手(こまきながくて)の戦い」が勃発しました。家康たちはこの「小牧山城」に本陣を構え、5日間で改築したと言われています。
土塁を高くし、堀を深くするなど守りを固め、秀吉軍も攻めることはできず、ここでは戦は起きませんでした。
現在の長久手市では多くの死傷者が出た激戦地として、各所にその痕跡が点在していますが、この「小牧山城」では血が流れなかったということでしょうか。
TV番組などでも紹介されることが多い、南側の二重の土塁と堀が気になります。早く見たい気持ちを抑え、まずは北側にある一般駐車場にバイクを停めて、散策することにします。

最初に目にするのは土塁断面の展示です。5種の土層があり、信長時代の黒色土層から仕上げの褐色土まで、見事に層が分かれています。
その後は頂上の小牧山歴史館を目指して歩くのですが、途中に大きな石がいくつも転がっています。石垣を多用した「小牧山城」は、山の岩盤など自然の地形を活かしながらも、様々な技術を駆使して石垣を築いていたことを知りました。
とくに主郭は3段の石垣が続き、良好な状態で発掘されたようです。途中に転がっている石は、何らかの理由で石垣が崩れた跡だそうです。

小牧山歴史館は2023年4月にリニューアルされたばかりで、解説ビデオも現代風の歴史番組を観ているかのようで、演出の全てにワクワクしました。いよいよ目当ての二重の土塁と堀に向かって歩みを進めます。
TV番組で何度も観ていた光景ですが、改めてその規模に感動しました。かつて市役所を建設する際に壊してしまったという二重の堀と土塁は、その後に作り直したそうです。
深いところで9mほどもある堀は、建物の3階ほどの高さとあって、秀吉軍も手を出せなかったのでしょう。これを数日の間に作った家康の実力も恐るべしです。

ちなみに、復元された堀は本来の位置からずれており、雨水を排水する機構を持たせているそうです。
観光用とは言え、現代人の知恵と技術も垣間見える二重の堀を目に焼き付けて、「小牧山城」を後にしました。














