国宝「松本城」を見下ろす江戸時代に庶民へ開放された「犬甘城」とは バイクで往く城跡巡り
機動力に優れるスーパーカブで往く城跡巡り。松本市最初の公園でもある「犬甘城山(いぬかいじょうやま)」を訪れました。城でありながら、江戸時代には早くも庶民の憩いの場として開放された場所です。
国宝「松本城」を見下ろす絶景スポット
機動力に優れるスーパーカブで往く城跡巡り。長野県松本市で最初の公園でもある「犬甘城山(いぬかいじょうやま)」を訪れました。現在は「城山公園」として整備されている「犬甘城」の城跡で、現地に設置された解説板には、ここが松本市で最初の公園であることが記されています。

城自体の歴史は定かではないようで、信濃国守護職の小笠原氏に重用されていた犬甘(いぬかい)氏が築いたという説があるようです。また南北朝時代から存在していたようですが、現在も空堀の跡が残っていることから、防御を固めた山城として機能していたことが分かります。
また、武田軍との争いの中で小笠原氏が敗れ、「松本城」(当時は深志城・ふかしじょう)などと共に落とされていました。武田四天王の1人、馬場信春(ばばのぶはる/のぶふさ)の計略で乗っ取られたという説もあるようです。

小笠原氏の伝記には、夜回り警備をしていた馬場に近づいてきた犬甘なにがしが、敵である馬場を味方だと間違え、それに乗じた馬場が相手を安心させ、隙をついて犬甘氏を追い出し、まんまと城を手に入れた……とあるのです。
これが真実かどうかは分かりませんが、実際の出来事だとしたら、ちょっと笑ってしまうような事件です。
「松本城(深志城)」は「本能寺の変」以降、再び小笠原氏が取り戻していますが、この「犬甘城」はどうだったのでしょうか。

面白いのは江戸時代以降の話で、当時は松本藩の管理下にあった「犬甘城」が、1843年に城主の戸田光庸(とだみつつら/みつつね)により領民へ開放されたそうです。それが庶民の憩いの場として定着し、明治8年(1875年)に松本市で最初の公園となっています。
古墳群もあったというこの地は、一から六の曲輪(くるわ)が連なっており、散歩することができます。空堀のようなえぐれた跡もあり、山城らしさも残されていました。

六の曲輪にある展望台に登ってみると、眼下には国宝「松本城」を眺めることができ、眺望は抜群でした。アルプスの山々や松本の城下町が目の前に広がります。風光明媚な土地柄か、多くの歌人ゆかりの地でもあり、各所に歌碑が配置されていました。