【世界に挑む日本人ライダーの足跡】Moto2國井勇輝選手 世界のシート喪失がターニングポイント 糧になった全日本の3年間
この企画では、MotoGPに参戦する日本人ライダーたちの、世界へ至る足跡を紹介しています。今回は、2025年シーズンに2度目のMotoGPへの挑戦を実現した、國井勇輝選手(イデミツ・ホンダ・チームアジア)です。
音が怖かったはずのポケバイ、おねだりした3歳のとき
國井勇輝(くにいゆうき)選手(イデミツ・ホンダ・チームアジア)は、2025年シーズン、ロードレース世界選手権Moto2クラスにフル参戦します。2020年、2021年シーズンをMoto3クラスで戦った國井選手は、その後シートを失い、2022年からの3シーズンを全日本ロードレース選手権で戦い、2024年シーズンに全日本ST1000、アジアロードレース選手権ASB1000でチャンピオンを獲得し、ダブルタイトルとともに、MotoGPへの再挑戦のチャンスをつかんだのです。

今では全日本王者、アジア選手権王者となった國井選手が最初にバイクに乗ったは、3歳のある日、千葉北ポケバイコース(千葉県千葉市)でのことでした。訪れた当日、コースでは体験走行が行なわれており、それに参加したのです。
「最初はバイクの音が怖くて、体験できずに終わったくらいなんです。でもそのあと、お父さんに“ポケバイが欲しい”とおねだりしたのは覚えています」
ポケバイを欲しがった理由をよく覚えていないそうですが、一緒に体験走行をしたお兄さんは颯爽とポケバイに乗っていたので、「悔しかったのかも」と笑っていました。
そこからバイクに乗り始めた國井選手ですが、当時はお父さんの方が熱心だったそうです。なにしろまだ幼い時分です。バイクの活動や練習に、親の意思が関わってくるのは自然なことと言えます。
「友達と遊んでいたほうが楽しいので、遊びたい気持ちはありましたね。それに、練習は基本的に、土曜日と日曜日なんです。日曜日の朝、アニメやってるじゃないですか。ああいうアニメを毎週見たくて、“練習したくない”って言っていたときもありました」
そんな中でバイクに乗り続けているうちに、國井選手自身の内に「バイクに乗りたい」という明確な意思が芽生えていきました。速くなるほど、レースに優勝するほど、速い人と一緒に走るほど、楽しくなっていったのです。
そして、10歳のときに「鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS)」、現在の「ホンダ・レーシング・スクール鈴鹿(HRS Suzuka)」に入校します。國井選手が「プロのレーシングライダーになる」と決めたのは、このころでした。
「今後、どうしていきたいのかなと思ったとき、“バイクでやっていきたい”という気持ちが芽生えたんです。そこから、“とにかく上を目指そう。自分自身で動こう”と考えるようになりました」
「プロになろうと決めた明確なきっかけは無いんですけどね。ただ、お父さんは常に、自分にはどうしたいのかを聞いてきました。“真剣にやるんだったら、こちらも真剣に手伝うから”という。(バイクのレースを続けるには)お金の負担もありますし、やはり、危険も伴います。それなりの覚悟が必要になりますから……」
そのころの國井選手にとっては、すでにバイクレースがなくてはならない存在になっていたのです。
「自分には、バイクしかない。かけがえのないものだと思ったんです」
「自分が納得しないまま終えたくない」
國井選手は10代前半から国内の地方選手権を経て、アジア・タレントカップやFIM CEVレプソルMoto3ジュニア世界選手権(現在のFIMジュニアGP世界選手権)に参戦し、レース活動を続けてきました。すでに長いキャリアを持つ中で、どのようにモチベーションを維持してきたのでしょうか。

レーシングライダーも人間です。そして勝負である以上、レースは常に良いときばかりではありません。同じ熱量で努力し続けることは、そう簡単ではないはずです。
「もちろん、良いときはモチベーションが高いですし、悪くなればなるほど、気分も落ちてやる気も小さくなってしまいます。シーズン通して、いつも良いわけではないですからね。だから、我慢の時期には耐えれば何か(チャンスが)あるんじゃないか、と信じてやっています」
「あとは、自分が納得しないまま終えたくない、という気持ちでずっとやっています。納得したときは、終わりなのかなって思っているんです」
その話を聞いてすぐに浮かんだのが、2021年シーズンで失った、Moto3のシートでした。
國井選手にとって、目標はずっと変わらず「世界チャンピオン」です。その舞台から降りざるをえなくなり、「どうしたらいいのは分からなくなった」とも言います。
そのとき、『HARC-PRO.』の本田重樹会長が「もう一度、ともに世界を目指さないか」と声をかけたそうです。國井選手自身、Moto3での2シーズンには悔いが残っていました。
そして世界に戻ることを目指し、3シーズンを全日本で戦ったのです。過去も現在も、一度世界のシートを失えば、戻ることは容易ではありません。MotoGPという最高峰を目指す若くて才能のあるライダーたちがぎゅうぎゅうとひしめき合い、しのぎを削ってわずかなチャンスをモノにしようと息巻いているのですから。
「一度(世界のシートを)失って、いろいろな人といろいろなことを話したのですが、どうしても悔いが残ったままやめられなかったんです。終わり切れないな、と思って」
このとき、國井選手は可能性を広げて考えるようになったそうです。それまでは世界へ向かうたったひとつの道をひた走ってきた國井選手にとって、いったん立ち止まったからこそ見えた、選択肢でした。
それは、決してネガティブな選択肢ではありません。國井選手がもう一度世界への挑戦の覚悟を決めるのに必要な、可能性だったのです。
「やりきれなかったから(世界に)もう一度挑戦したかったし、それが叶わなかったとしても、また違う方向でライダーとして生きていきたいなと思いました。そこからは、ただ努力するだけでしたね。そうしたら、またチャンスをもらえました。そこが一番のターニングポイントだったと思います」
「自分が納得しないまま終えたくない」と語った國井選手に、「自分が納得するのは、どういうときだと思いますか?」と尋ねました。
「良い納得の仕方と悪い方のふたつあるとして、良い納得の仕方は、世界チャンピオンを獲り続けて、いつか難しくなって、“やりきったな”というのが一番良い終わり方です。悪い方は、その1年を最善の努力を尽くして戦ったけれどうまくいかず、もうそれ以上のモチベーションが見つけられなくなったとき。自分の努力ができてだめだったら、区切りはつけられるかな、と思います」
國井選手はスラスラと答えます。「納得することとは」について考え続けていたのかもしれません。世界チャンピオンになる目標を閉ざされた、2021年の終わりに。
そこには、國井選手の覚悟が見えました。厳しい経験は、しかし、現在の國井選手にとって、大きな糧となっています。それは、國井選手の新しい強さなのです。
「もし、レーシングライダーになっていなかったら?」
最後に、「もし、レーシングライダーになっていなかったら、何になりたかったですか? または、何になっていたと思いますか?」と質問しました。このシリーズでは、最後にこの質問をするのが恒例です。バイクレース一筋だったがゆえに回答に悩むライダーもいれば、やりたいことをたくさん口にするライダーもいました。

國井選手も少しだけ間を置いてから、「どういう仕事に就いていたのかは分からないんですけど」と切り出しました。
「僕は兄弟が多くて、6人兄弟なんです。僕は下から2番目の4男なんですが。レースをしていなかったら、普通に仕事をして、温かい家庭を作りたいなと、すごく思っているんです。普通の暮らしをして、普通に過ごしたいな。それが、したいことですね」
世界選手権に参戦するライダーは、アスリートであるというばかりではなく、レースに合わせて各国を飛び回らなければならない、という意味でも特殊な生活をしています。國井選手は、少し照れたようにそう語っていました。
とはいえ、國井選手にとってはまだまだMoto2ライダーとしての生活は続きます。全日本で得たタイトルと糧とともに、國井選手は世界各地で戦います。
■國井勇輝(くにいゆうき)/イデミツ・ホンダ・チームアジア/#92
2003年2月18日生まれ。
2020年:ロードレース世界選手権Moto3クラスに「ホンダ・チームアジア」からフル参戦。ランキング27位
2021年:Moto3フル参戦2年目。ランキング25位
2022年:全日本ロードレース選手権ST600ランキング8位
2023年:全日本ロードレース選手権ST1000ランキング10位
2024年:全日本ロードレース選手権ST1000チャンピオン。アジアロードレース選手権ASB1000チャンピオン
2025年:「イデミツ・ホンダ・チームアジア」よりMoto2クラスにフル参戦
Writer: 伊藤英里
モータースポーツジャーナリスト、ライター。主に二輪関連記事やレース記事を雑誌やウエブ媒体に寄稿している。小柄・ビギナーライダーに寄り添った二輪インプレッション記事を手掛けるほか、MotoGP、電動バイクレースMotoE取材に足を運ぶ。




