250年間、由利本荘を支配した六郷氏の「本荘城」へ バイクで往く城跡巡り

のどかな普通の公園に見えるが、ここが「本荘城」の「本丸」にあたるところ
「本荘城」の解説板が設置されている。中腹に「二の丸」、公園広場になっているところが「三の丸」とのこと。城下絵図も残されている
「本荘城」の解説板が設置されている。中腹に「二の丸」、公園広場になっているところが「三の丸」とのこと。城下絵図も残されている
一見ただの小山だが、城の土塁として防御システムの一翼を担っていたことを踏まえて眺めると、城らしく見えてくる
一見ただの小山だが、城の土塁として防御システムの一翼を担っていたことを踏まえて眺めると、城らしく見えてくる
「長柄(ながえ)」と呼ばれる、戦国時代に槍などを保管していた櫓の跡地。18世紀初めころの絵図によれば、他にも弓や鉄砲、兵具などの保管場所も設けられていたようだ
「長柄(ながえ)」と呼ばれる、戦国時代に槍などを保管していた櫓の跡地。18世紀初めころの絵図によれば、他にも弓や鉄砲、兵具などの保管場所も設けられていたようだ
「本荘城址」からの眺めは、いまでも公園を訪れるひとたちを楽しませてくれている
「本丸」には「本荘神社」と「稲荷」が並ぶ。元応(1319~1321年)年中に建立されたと伝えられている
「本丸」には「本荘神社」と「稲荷」が並ぶ。元応(1319~1321年)年中に建立されたと伝えられている
「本荘城」の歴史などを知ることができる「修身館」では、発掘調査時の写真や絵巻物、模型などが展示されている
由利本荘市の「本荘公園」へ。「本荘城」は別名「鶴舞城」で、公園入口の門には「鶴舞城址」と書かれていた。駐車場にバイクを移動して散策
「本丸」へ続く階段。標高25mの尾崎山山頂に立地する
一見ただの小山だが、城の土塁として防御システムの一翼を担っていたことを踏まえて眺めると、城らしく見えてくる
満州開拓団の悲劇が年表から読み取れる「満州開拓の碑」がある。由利本荘市を中心に350名の開拓団が結成されて成果をあげたが、敗戦後に襲撃、餓死、病死などに見舞われ、帰国できたのは129名だけだったという

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