ただナナハンに憧れ、堂々と乗りたかっただけなのに? ~木下隆之の、またがっちゃいましたVol.55~

レーシングドライバーの筆者(木下隆之)は、高校時代にカワサキの歴史的名車“ゼッツー”に乗るつもりが免許制度の改正で願い叶いませんでした。どういうことなのでしょうか?

時代や環境やルールが変ろうとも、バイクは楽しい乗り物なのだ

 1960年生まれの木下隆之(筆者)は、悲劇の世代だと言えるのかもしれない。というのも、自動二輪の運転免許制度が3段階に分けられたのが1975年のこと、晴れてバイクの免許が取得できる16歳の前年に、衝撃的な制度改正が行なわれたのである。

筆者(木下隆之)が15歳の時に憧れたカワサキの歴史的名車「750RS」(1973年、通称:Z2、ゼッツー)

 排気量125ccまでの小型二輪と、400ccまでの中型二輪(いわゆる中免:ちゅうめん)、そして排気量無制限の大型二輪に分けられたその年、僕はまだ15歳だった。バイクの運転免許を取得してカワサキの「ゼッツー」(Z2こと750RS)に乗ることを夢見ていた少年の目の前から、ナナハンに乗る夢を奪い去った。

 それでも大型二輪を取得する道は残されていた。それは「限定解除試験」いわゆる“一発試験”だ。だがそれはバイク経験のない青年にはあまりにも厳しく、まずは中型二輪(いわゆる中免)で経験を積んでから「限定解除試験」を突破する必要があった。

 その試験の難易度は高く、合格率は当時2%と言われていた。教習所からシードで勝ち上がるシステムもなく、毎度試験場へ赴き、その日1回限りの試験で合格しなければならなかったのである。

 大型二輪の免許取得資格が厳格化された理由は、たびかさなる若者の事故にあるとされていた。つまり、暴走族対策……。青少年への免許証交付をしないに等しい法律だ。16歳になったばかりの高校生の合格率は限りなくゼロに等しい。「おまえらには免許やらないぜ」といった雰囲気が漂っていた(それでも合格する人はいたのだから恐れ入る)。

 試験車輌がスズキ「GT750」だったのだから、意地悪である。エンジンは排気量738ccの水冷3気筒2サイクル、車重は200kgを超えていた。北米では「ウォーターバッファロー」つまり“水牛”と揶揄されていた厄介なバイクである。初めてナナハンに乗る青年にとっては未知の世界なのだ。

 わざと錆びつかせているに違いないポンコツが横倒しになっており、それを引き起こすことから試験は始まる。なんとかクリアしても、荒れた路面が続く30メートルの距離を押して歩かなければならない。

普段は自身の愛車(モンキー)でバイクをたしなむレーシングドライバーの筆者(木下隆之)

 その途中で「エンジンをかけてみろ」と指令が下る。2サイクル3気筒はアイドリングからブルブルと震えるから、押して歩くにはいっそう難易度が上がる。「エンジンかかるのならば走らせろ」と舌打ちしたくなった。

 そしていきなりの1本橋だ。幅30センチ、長さ15メートルの橋渡りは最大の難所だ。それもなんとかクリア。ダメ出しがあればその場で終了なのだが、2度目の挑戦で全コース完走。完走すれば合格らしいという噂が流れていたこともあり、気をよくしていたら「不合格」の宣告……肩を落とした。

 木下「なぜ不合格なのですか?」

 いかにも白バイ上がりの鬼試験官は無言。

 木下「完璧でしたけど……!」

 執拗に食い下がる僕に向かって、試験官が放った言葉に意識を失いかけた。

 試験管「初めてじゃないだろ。慣れすぎてる」

 無免許運転していると疑ったのだ……。

 慣れていると思われただけで不合格なのだから、つまり高校生には免許証はやらないというわけである。

 それ以来、試験は受けていない。

【了】

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Writer: 木下隆之

1960年5月5日生まれ。明治学院大学卒業後、出版社編集部勤務し独立。プロレーシングドライバーとして全日本選手権レースで優勝するなど国内外のトップカテゴリーで活躍。スーパー耐久レースでは5度のチャンピオン獲得。最多勝記録更新中。ニュルブルクリンク24時間レースでも優勝。自動車評論家としても活動。日本カーオブザイヤー選考委員。日本ボートオブザイヤー選考委員。

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