戦国武将、三好長慶は生誕500年 国史跡「飯盛城跡」を訪ねた バイクで往く城跡巡り
大阪の生駒山地北部に位置する飯盛山に築かれた中世の山城、地域の人々に支えられる「飯盛城跡(いいもりじょうせき)」をバイクで訪れました。
国史跡への指定、人気の戦国武将生誕500年を市民が讃える山城
大阪の生駒山地北部に位置する、飯盛山に築かれた中世の山城「飯盛城(いいもりじょう)」をバイクで訪れました。城跡に近づくにつれて華々しいノボリが沿道に立ち、なにやら地域を挙げて盛り上げているようですが、どうやら2021年に国史跡へ指定され、城主である三好長慶(みよしながよし)の功績を讃え、大東市や四條畷市の市民から喜びの声が上がっているようです。

三好長慶は戦国時代の名将ですが、2022年3月が生誕500年ということで、「第6回 三好長慶公武者行列 in 大東」が大東市の北条公園で開催されるそうです(※)。2017年から始まったこの行事はコロナ禍で2年連続中止されているだけに、地元市民の喜びも大きいことでしょう。
※令和4年3月5日(土)に開催が予定されていましたが、大阪府における「まん延防止等重点措置」が令和4年3月6日(日曜日)まで延長されたことを受け、令和4年3月20日(日)に延期されています。
さて、「飯盛城跡」を目指してバイクを走らせます。ライダーにとってはお馴染み、ライディング用品メーカー「アールエスタイチ」のフラッグシップストアを通り過ぎて阪奈道路を登り、途中から道を逸れて進みます。すると「ライダーパーク生駒」の看板が目に入りました。ここは昔からあるモトクロスコースで、近畿地方のオフロードライダーには馴染みの深いコースです。

さらに城を目指して進むと、途中から舗装路ではなくなり、土と砂利が踏み固められた路面の細い道になります。すると「楠公寺」が目の前に現れました。ここは南北朝時代「四條畷の戦い」の戦死者を弔うために建立されたお寺とのことで、かの楠木正行(くすのきまさつら)も弔われているようです。
「楠公寺」脇の坂道を進むと、急に山が険しくなり急勾配になります。そうです、まさに「飯盛城」のエリア内に入っていたのです。辿り着いた先には堀切(敵の侵入を防ぐために設けられた尾根を分断する堀)跡があります。ここでバイクを安全な場所に停め、散策することにしました。ちなみに山城巡りは軽いトレッキング要素があるので、歩きやすく、滑りにくい靴がオススメです。
まずは堀切の中央部分を橋状に残した「土橋」を進みます。これはわざと道幅を狭くし、敵兵の勢いを削ぐ防御システムです。この土橋を切り崩すことで敵の侵入を防ぐこともできるのだとか。

本丸に辿り着くと、楠木正行の銅像や展望台、解説板などがありました。書かれている内容を要約すると次の通りです。
・「飯盛城」は生駒山地の北部にそびえる標高314mの飯盛山に築かれた中世の山城
・北と東西は険しい要害の地で、河内平野や京都まで一望でき、軍事的に重要な場所
・南北朝時代に城が築かれ、その後、木沢長政(きざわながまさ)、安見直政(やすみなおまさ)の城主時代を経て、1560年に室町幕府の実力者、三好長慶が畿内平定の本拠地として入城
・政治、文化の中心地とする一方で、キリスト教にも寛容で多くの家臣がこの城で洗礼を受けている(河内キリシタン)
・入城4年後に三好長慶は亡くなり、1576年頃に織田信長の勢力によって廃城
この本丸の裏側の小道を歩くと石垣を発見しました。あとで分かったことですが、近年の発掘調査によって、1563年の織田信長の「小牧山城」が最初の城全体の石垣施設である、という通説を覆す可能性があるそうです。
「飯盛城」は織田勢に滅ぼされ、当時の姿はほとんど残っていなかったのですが、大東市の調査により、50箇所で石垣が発見されました。中には推定長さ30m、高さ3mの巨大な石垣まで発見されたそうです。

飯盛山は低山ながらトレッキングルートに適しているためか、訪れた平日も何人かの散策者に出会い、地域の人々に支えられている山城を後にしました。














