WRCに勝利するために!途方もない速さとパワーを持って生まれた”悲劇のマシン”日産「パルサーGTI-R」とは
モータースポーツ界の生き字引、現役レーサーの木下隆之氏の新連載コラム「木下隆之のヒストリカルパレード(通称:ヒスパレ)」がスタート! 連載第4回目は、世界ラリー選手権に送り込むために誕生した日産「パルサーGTI-R」を解説します。
日産のモータースポーツの歴史を彩る貴重な一台!
1990年に発売された「パルサーGTI-R」は、日産のモータースポーツの歴史を彩る貴重な一台ではありますが、一方で”悲劇のマシン”とも思えます。

ベースはファミリカーの4代目パルサーです。ごく大人しい日常ユースのコンパクトモデルがペースなのですが、そのボディに強力なSR20DET、直列4気筒2リッターDOHC4バルブインタークーラーターボが積まれ、モータースポーツの最前線、世界ラリー選手権(WRC)に送り込まれました。
当時日産は世界ラリー選手権でも輝かしい成績を残していました。”ラリーの日産”とも言われ、ラリーシーンで数々の勝利を飾っていたのです。
1990年といえば、1989年に復活したスカイラインGT-RがグループAレースで快進撃を初めていました。その勢いをラリー界で紡ぐためにパルサーGTI-Rが開発されました。スカイラインGT-Rと同じく、グループA規定のベース車両として開発されたのです

ただし、スカイラインGT-Rが設計当初からグループAマシンを前提に開発されたのとは対象的に、パルサーGTI-Rは、ファミリーカーのパルサーの開発が進行している途中で急遽企画されたものでした。そのため、グループA前提で開発されたものよりは不利な状況だったのです。
グループAは年間5000台以上生産されたマシンをベースに、改装規定が厳しく決められていました。ですので、競技を優位に戦うには、市販車の段階で戦闘力を高めておく必要があります。ですが、パルサーGTI-Rは、その点で不利だったのです。














