なんだこの物体は!? 4気筒集合管が見せつけたヨシムラ・クラウスホンダ「CB750レーサー」の走り

AMA史上最も多くのメーカーと契約ライダーが集結した1971年のデイトナで、決勝レースをいきなりトップで走った黄色の「CB750FOUR」は、ヨシムラがチューニングした米国のホンダディーラー「クラウス」のマシンでした。

ヨシムラとクラウスホンダの共闘。レース場に響き渡る集合管の排気音

 1972年にアメリカで行なわれた「デイトナ200マイルレース」に出場したヨシムラ・クラウスホンダの「CB750FOUR」は、紛れもないレーシングマシンです。レースファンの中には「ヨシムラがホンダのバイクでレース?」と、そのマッチングに違和感を覚えるかもしれませんが、チューニングコンストラクターのヨシムラがスズキとタッグを組むのは1977年以降で、それ以前はホンダ車やカワサキ車のチューニングも手掛けていました。

1972年の「デイトナ200マイルレース」に出場したヨシムラ・クラウスホンダ「CB750FOUR」
1972年の「デイトナ200マイルレース」に出場したヨシムラ・クラウスホンダ「CB750FOUR」

 ホンダは1969年にデビューした「CB750FOUR」の性能を強力に宣伝できる方法として、アメリカで最も人気のあるデイトナ200マイルレースに参戦しました。ホンダ本社がチューニングした「CB750FOUR」は優勝し、その後の販売に大きな勢いをつけました。

 このデイトナ参戦プロジェクトは、優勝で宣伝としての目的を果たし、1年限りで活動は終了しました。その後ホンダは「CB750FOUR」の参戦ユーザーを支援することでレースを支えることになります。

 せっかく勢いのついた「CB750FOUR」の売り上げを、引き続きレース参戦によって維持したいと考えたのは、アメリカ東部のペンシルバニア州で、ホンダディーラーを経営するロン・クラウスでした。

 ホンダが現地法人を設立した1959年、クラウスはアメリカで最も早い時期にホンダと契約したディーラーです。クラウスは1971年のデイトナ参戦に向けて準備を始めました。

 一方、当時のヨシムラは日本国内でホンダ「CB72」や4輪の「S600/S800」のチューナーとして有名でした。最も速く、そして最も売れていた「CB750FOUR」を、ヨシムラがチューニングやパーツの製造・販売することは当然の流れです。

 日本に駐留していたレース好きの米兵の仲介により、クラウスはヨシムラへ「CB750FOUR」のチューニングを依頼します。ヨシムラはホンダ用のレースパーツ(RSC)の代理店でもあり、クラウスのチューニングを担当することになりました。

 ホンダ本社が欠場した1971年3月のデイトナ200マイルレースには、雪辱を晴らすべくイギリスからBSA/トライアンフが大挙して参戦します。GPチャンピオン達を擁したファクトリーチームが参戦し、決勝では1-2-3と表彰台独占でフィニッシュします。

 ヨシムラ・クラウスホンダの「CB750FOUR」で走る20歳の若手ライダー、ゲイリー・フィッシャー選手は、英国車に乗るGPライダーを尻目に序盤トップを走り、存在感を示します。しかし、スピードはあったもののチェーンが切れてリタイアとなります。

 その年、日本のヨシムラでは秘密兵器が開発されていました。それは4本の排気管を1本にまとめる「集合管」です。4本マフラーに比べて軽量化とバンク角の確保に役立つことは分かっていましたが、実際に装着すると、トルクバンドの拡大やパワーアップにも効果がありました。

写真のマフラーは、当時のヨシムラが製作した実物だと言われている。アンダーカウルが解放型でマフラーの集合部分が丸見え
写真のマフラーは、当時のヨシムラが製作した実物だと言われている。アンダーカウルが解放型でマフラーの集合部分が丸見え

 秋のAMAシリーズ戦で、ヨシムラ・クラウスホンダ「CB750フォア」に新型エキゾーストシステム=集合管が装着されました。現在ある4気筒エンジンのエキゾーストパイプを1本に集合したマフラーのルーツは、ここにあると言われています。

 いよいよ準備が整った1972年のデイトナ200マイルレースでは、ヨシムラ・クラウスホンダのフィッシャー選手が予選4位に入ります。決勝でも集合管の排気音を響かせてトップも走り、勝つチャンスは十分にありましたが、最終的にはオイルタンクの脱落によりリタイアとなります。

 優勝したのは、参戦マシンの中で最も小さな排気量350ccのヤマハ「TR3」でした。ここからデイトナ200マイルレースは、2ストロークエンジンのヤマハ時代が13年続きました。

 いまでは常識になっている4気筒集合マフラーが、メーカーの開発ではなく個人チューナーから生み出されていた事に、レースならではのドラマを感じることができます。

 ヨシムラはかねてより計画していたアメリカ国内でのレース活動をはじめ、AMAにはなくてはならない存在となります。現在でもバイクパーツの製造・販売のほか、世界的なチューナーとして活躍しています。

 クラウスはホンダが北米へ4輪車販売を始めた際も、早速ディーラーとなってホンダとの関係を深めていきました。

 フィッシャー選手は1972年のデイトナを最後にクラウスから離れ、初めてヤマハの2ストローク車に乗るレースでケニー・ロバーツ選手を抑えて優勝。その後はロードレースの堅苦しい雰囲気と合わず、MTB(マウンテンバイク)メーカーの社長に転身しています。

 アメリカンホンダは、フレディ・スペンサー選手とともに市販車ベースのデイトナに「CB750F」で参戦を始め、カワサキやヨシムラと厳しい戦いの末に1982年のデイトナを制しました。

■「ヨシムラ/クラウスホンダCB750FOURレーサー」(1971年型)主要諸元
エンジン種類:空冷4ストローク並列4気筒SOHC4バルブ
総排気量:748.6cc
最高出力:96PS/9500rpm
車両重量:160kg(乾燥)

【取材協力】
ホンダコレクションホール(栃木県/モビリティリゾートもてぎ内)
※2023年12月以前に撮影

【画像】バイクで世界初登場の「4 into 1」集合管は米国レースシーンから!!(12枚)

画像ギャラリー

Writer: 柴田直行

カメラマン。80年代のブームに乗じてバイク雑誌業界へ。前半の20年はモトクロス専門誌「ダートクール」を立ち上げアメリカでレースを撮影。後半の20年は多数のバイクメディアでインプレからツーリング、カスタムまでバイクライフ全般を撮影。休日は愛車のホンダ「GB350」でのんびりライディングを楽しむ。日本レース写真家協会会員

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