圧巻の「巨大空堀」に感じる歴史浪漫! 太田道灌ゆかりの「小机城」へ バイクで往く城跡巡り
全国各地の城跡をバイクで巡る旅を楽しんでいますが、じつは自分が住んでいる地域にもたくさんあります。太田道灌ゆかりの「小机城」もそのひとつで、バイクで「小机城址」を訪れたところ、想像以上の規模の「土塁」と「空堀」に圧倒されました。
天然の地形を利用したつくりがよく分かる
神奈川県横浜市港北区小机町にある「小机城」の城跡へバイクで訪れました。正確な築城年代は不明とのことですが、おそらく室町時代、関東官僚の上杉氏によって作られたのではないか、と言われています。

バイクで城跡を巡るときによく感じるのが、城の周囲の地形から感じる「城跡らしさ」です。大きな川が近くに流れていたり、市中に突然小山が現れたりするので、いわゆる天然の要害となる場所に築かれていることが、バイクを走らせながら感じられるわけです。
「小机城」もまさにそれで、鶴見川を越えて辿り着くと、北・西・東の三方をこの川に囲まれて守られているような地形でした。現在は「小机城址市民の森」として保存、整備されている公園で、散策者の姿もチラホラあります。
この城の歴史で大きな出来事と言えば、1477~1478年に太田道灌(おおたどうかん)によって落城したことです。道灌は関東の山城を巡っていると頻繁に目にする名前です。
山内上杉氏の家臣である長尾景春(ながおかげはる)が家督を継承できなかったために反乱を起こし、上杉氏同士の激しい争いが起こります。この争いに関しては、過去に訪れた神奈川県厚木市の「七沢城址」でも触れました。
道灌は扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)の家宰という立場で、謀反を起こした景春を攻めて「小机城」に逃れたところを攻め落としました。道灌はその後勢力を伸ばし、勢いを恐れた扇谷上杉氏に暗殺されてしまいます。
さて、その後の転換期は1495年の北条早雲(ほうじょうそううん)による「小田原城」の獲得です。3代に渡る北条氏を支えた高官の笠原信為(かさはらのぶため)が、北条家から「小机城」初代城代に任命されたのが1524年で、現在でも毎年開催されている「小机城址まつり」の主役はこの信為だそうです。

バイクを通行人の邪魔にならない場所に停めて、いざ散策開始です。公衆トイレがある「根古谷(ねこや)」から歩いて登ると、「角馬出(かくうまだし)」、その先に土橋があり、櫓台や本丸跡に辿り着きました。
「角馬出」とは文字通り角張った馬出のことで、出陣や迎撃のための施設です。角張った作りは北条氏の城の特徴と言われています。一方、武田氏の城の馬出は半円状であることが特徴と言われ、かつて訪れた静岡県御殿場市の「深沢城」でもその遺構を見ることができました。
現在の「小机城」は竹林となっていますが、かつての土塁は土の表面をツルツルに固められており、幅は20m、高さは12m(4階建て相当)だったと言われ、その鉄壁ぶりが想像できます。
さらには「井楼(せいろう)」などの見張り台跡も散策し、たいへん満足できました。
バイクでの帰路、城跡の麓の住宅街で御城印や缶バッジ、パンフレットなどが置かれた民家を発見しました。ここは「小机城のあるまちを愛する会」代表のご自宅ということで、せっかくなので協力金を寄付し、御城印と缶バッジを購入しました。
普段はこういうグッズ類を買うことはありませんが、黒基調の渋いデザインでかなり気に入りました。これが保全活動に少しでも貢献できればと思います。
貴重な史跡を残すのも人の手によるものです。いつの時代の人が訪れても歴史を感じられる場所であって欲しいと願うばかりです。















