出世物語はじまりの地「墨俣一夜城」へ 秀吉が敵地に短期間で築いた美濃攻略の拠点とは 豊臣兄弟ゆかりの地をバイクで巡る旅

戦国時代、後の豊臣秀吉となる藤吉郎が出世街道のスタートを切ったと伝わるのが、現在の岐阜県大垣市にある「墨俣一夜城」です。豊臣兄弟にゆかりのある場所をバイクで巡ってみました。

武功ではなく新しい発想で切り拓いた出世街道

 岐阜県大垣市に位置する「墨俣(すのまた)」は、戦国時代、尾張国と美濃国の境にあたる重要な場所でした。濃尾平野の中でも木曽川・長良川が近くを流れるこの地は、交通と軍事の要衝である一方、山や高台に乏しい平地という弱点も抱えていました。そんな墨俣に築かれたのが、後に「墨俣一夜城」(1566年)と呼ばれる「墨俣砦」です。

 この砦は、織田信長が美濃攻略を進める過程で築かれた前線拠点であり、その建設を任されたのが、NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』で池松壮亮さん演じる木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)でした。

 斎藤道三(さいとうどうさん)の死後、美濃を支配していたのは斎藤龍興(さいとうたつおき・ドラマでは濱田龍臣さんが演じる)でしたが、織田信長にとって美濃攻略は悲願でした。その最前線となったのが、国境に位置する墨俣だったわけです。

 しかし、平地に砦を築けば斎藤軍の反撃を受けやすいことは明らか。実際、龍興は織田方の動きを警戒し、墨俣周辺への攻撃を繰り返していたとも言われています。

「太閤出世橋」を渡って城郭スタイルの「墨俣一夜城」(歴史資料館)へ。バイクを駐車場に移動してから散策を開始した
「太閤出世橋」を渡って城郭スタイルの「墨俣一夜城」(歴史資料館)へ。バイクを駐車場に移動してから散策を開始した

 この難題に対して藤吉郎が示したのが、後に「一夜城」と語られる発想の転換です。「現地で一から作るから時間がかかる。準備を済ませて運べばよい」と考えたのです。

 そこで砦の柱や板材、柵などを事前に加工し、木曽川を使って一気に運び込み、現地で組み立てることで工期を大幅に短縮。敵に攻撃される前に拠点を完成させた、と言われています。

 この計画を実現するために欠かせなかったのが、川を知り尽くした人々の存在です。藤吉郎は、かつて国境の川を管理していた集団「川並衆(かわなみしゅう)」に目を付けます。そこで仲介役となったのが、織田家臣の前野長康(まえのながやす・ドラマでは渋谷謙人さんが演じる)でした。

 長康を通じて、藤吉郎は川並衆の棟梁である蜂須賀正勝(はちすかまさかつ・ドラマでは高橋努さんが演じる)に接触し、巧みに説得して味方につけることに成功します。こうして資材は川を使って運ばれ、墨俣砦は短期間で姿を現しました。

秀吉は「千成ひょうたん」を馬印として次々と手柄をたてていった。それにあやかって「出世ひょうたん」と呼ばれ、縁起の良いものとされている。各所でその姿を見ることができた。毎年秋(10月上旬)に「すのまた秀吉出世まつり」が開催されている
秀吉は「千成ひょうたん」を馬印として次々と手柄をたてていった。それにあやかって「出世ひょうたん」と呼ばれ、縁起の良いものとされている。各所でその姿を見ることができた。毎年秋(10月上旬)に「すのまた秀吉出世まつり」が開催されている

 完成した墨俣砦は、やがて斎藤軍の攻撃を受けて焼き落ちたとも伝えられています。つまり、砦そのものは恒久的な軍事拠点としては長く機能していません。

 信長は、戦場での武功だけでなく、発想力と調整力、人心掌握と段取りに優れた藤吉郎の働きを高く評価し、ここから「秀吉」の出世街道が本格的に始まります。

 墨俣砦の痕跡は残っておらず、現在の「墨俣一夜城」は当時の城郭風の天守を模した歴史資料館があるのみです。残念ながら訪れた時は閉館していましたが、秀吉の馬印として知られる瓢箪(ひょうたん)がシンボルとしていたるところに見られ、地元でその功績が称えられていることを強く感じました。

 瓢箪は戦功を挙げるたびに数が増え、出世の象徴と言われています。平地という不利を知恵で覆したこの地は、戦国時代における「勝ち方」の多様さを今に伝えています。まさに、秀吉の出世街道の原点と思える場所でした。

【画像】ひょうたんだらけ!? 当時の史跡はないけれど秀吉の功績を称える「墨俣一夜城」を画像で見る(14枚)

画像ギャラリー

編集部からのおすすめ

無理せず引き出せる絶大な安心感! ブリヂストン「BATTLAX RACING STREET RS12」で味わう極上のハイグリップ【PR】

無理せず引き出せる絶大な安心感! ブリヂストン「BATTLAX RACING STREET RS12」で味わう極上のハイグリップ【PR】

最新記事