41年続く鈴鹿8時間耐久レースの中で唯一無二の存在 サンダンス「デイトナウエポンII」が起こしたドラマとは

灼熱のサーキットで開催される「鈴鹿8時間耐久ロードレース」は、世界有数の過酷なレースとして知られています。1978年から開催され2019年で42回目を迎える歴史あるレースに挑んだ唯一無二のハーレー・ダビッドソン「デイトナウエポンII」とはどのような存在なのでしょうか。

鈴鹿「8耐」に挑んだ唯一無二のハーレー・ダビッドソン

 2019年7月28日にFIM世界耐久選手権の最終戦「第42回 鈴鹿8時間耐久ロードレース」の決勝が開催されます。1978年から行われている同レースにおいて、その歴史の中で唯一、この過酷な戦いの場に挑んだハーレー・ダビッドソンが存在します。

鈴鹿8時間耐久レースを走った唯一のハーレー・ダビッドソン「デイトナウエポンII」

 1982年に東京の港区高輪でたった15坪の店を立ち上げ、1984年にはステンレスやアルミブロック削りだしのオリジナルパーツを販売することで当時のハーレー・カスタムシーンに新風を巻き起こした“サンダンス”は、1989年から“SUNDANCE Racing Project(サンダンス・レーシング・プロジェクト)”を立ち上げ、ロードレースという場でOHV45度Vツイン・エンジンという古典的な構造の内燃機の限界に挑むことで、その存在を世に知らしめてきました。

 同店は1992年からアルミ製フレームのオリジナルレーサー、“デイトナウエポンI”を開発し、米国のフロリダ州のサーキット「デイトナスピードウェイ」で開催されるバトル・オブ・ツイン(2気筒のバイクによるロードレース)に参戦。1994年にノースキャロライナ州で開催された全米チャンピオンシリーズのスーパーツインクラスでの優勝や、1997年のデイトナ・バトルオブツインF2クラスでの優勝、翌年にはF1クラスで頂点に輝くなどの華々しい活躍を見せるのですが、1998年には国際耐久ロードレースである“鈴鹿8時間耐久”に参戦しました。その際に開発されたレーシングマシンが“デイトナウエポンII”です。

ハーレー・エンジンの耐久性の限界に挑んだ“デイトナウエポンII”

 1998年の3月に米国のデイトナスピードウェイでデビューを果たした “デイトナウエポンII”は、それまでのサンダンスのレース経験から「整備性の向上」と「車体重量マスの中心化」、「ライダーが跨った際のエアロダイナミクスの追求」など様々なテーマを掲げて製作されましたが、その中でもっとも重きを置いたのが「ハーレー・エンジンの耐久性の限界」です。サンダンス代表の柴崎武彦氏は「このエンジンの可能性を過酷な条件で試してみたかった」と当時を振り返ります。

「その昔、ハーレー屋であるサンダンスを始めた当初から、このエンジンの可能性を色々と試してみたかったんです。1985年に開発したショベルヘッド用のアルミ製シリンダーや89年からビューエル(ハーレー・ダビッドソンのエンジンを搭載したロードバイク)の開発の一貫として依頼されたレース活動も然り。そもそも私自身が惚れ込んだのがOHV、45度のVツインエンジンであって、その限界を試してみたかったんですね。

鈴鹿8時間耐久レースを走った唯一のハーレー・ダビッドソン「デイトナウエポンII」と製作者の柴崎武彦氏

 その中で自分自身が“ハーレーでは絶対に不可能だろうな”と感じていたのが、“8時間をレースで使う”ということ。エンジンの構造から見ても“全開だと80分で耐久レースになってしまう”って当時は冗談で言っていたくらいですから。夢のまた夢だったんですね。でもレースの活動の中で最高速を追求すると壊れる、壊れるから耐久力を上げるということを繰り返しているうちに“8時間、持つんじゃないの?”と思い始めて……夢だったものが現実に見えてきたんですよ」。

「8耐に挑んだのは、わずかな自信とチャレンジ精神ですよね。1%でも可能性があるのなら挑んでみようと。でも8耐という場所は、それまで参戦していたツインレースとは、あまりにもレベルが違う厳しいものでしたね。シャレが通じない世界というのかな。当時、あったレギュレーションでXフォーミュラーの車両でも上位3台までしか参加出来ないし、レギュレーションも当然、“本物じゃなきゃ走れない”というもの。

 あと絶対にオイルをコースにまかないという信用も必要。もちろんタイムが出なければ予選通過も難しい。FIM(国際耐久レース)のレギュレーションに準じたものでなければ出ることすら不可能なんです。ホンダやヤマハのワークスレーサーと同じ舞台ですからね」。

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 それらの条件をすべてクリアしたサンダンスは1998年に鈴鹿8時間耐久レースに挑み、63台が決勝に進んだ中で予選は28位。ライダーは匹田禎智選手と野口祥選手という体制で8時間先のゴールに向けて挑んだのですが、柴崎氏曰く「あの場所は、まるで戦場だった」といいます。

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