昭和の個性派バイクたち【ヤマハ編】 ライバルとの戦いが開発に拍車をかけた!?
「旧車と言えば、やっぱり昭和!」大人気モデルも多いですが、時代に埋もれた名車(迷車?)も数多く存在します。2025年で「昭和100年」を記念して、空前のバイクブームだった1970年代後半から昭和最後の10年にスポットを当てて、ヤマハの個性派バイクを紹介します。
当時でも珍しかったかも……?
「昭和」の最後の10年(1978~1988年頃)は、日本はまさに空前のバイクブームでした。毎月のようにパワーアップや新機構が採用されたニューモデルが登場し、なかでも当時のヤマハはナンバーワンのバイクメーカーであるホンダに追いつき追い越せの真っ向勝負で、「RZ250」のような大ヒットモデルだけでなく、「それはちょっとヤリ過ぎでは……」と思わせるモデルも数多くありました。

というワケで、ザックリ年代を追って、ヤマハの個性派バイク(の一部)を紹介します。
ここでは当時の中型免許(中型限定自動二輪)で乗れた小型2輪クラスまでを中心に見てみましょう。
マネが悪いワケではないけれど……
1980年代初頭から始まるバイクブームに先駆け、1970年代はレジャーバイクも大人気で、その立役者がホンダの「モンキー」や「ダックス」なのは万人が認めるところでしょう。

そこに対抗すべく、ヤマハが1976年に発売したのが「ボビィ」です。直線基調のボディにはオリジナリティを感じますが……ホンダの「ダックス」を強く意識している感は否めません。
そして1980年には「ポッケ」と「フォーゲル」が登場します。小径タイヤ(ポッケは前後6インチ、フォーゲルは前後8インチ)に折り畳み式のハンドルなど、こちらもモロにホンダの「モンキー」と「ゴリラ」の対抗馬です。エンジンは大人気の「ミニトレGT50」の2ストロークがベースで、元気な走りに定評ありましたが、いかんせんコンセプトが似過ぎかも……で、両車とも一代限りで姿を消しました。
ナゼ「SR」をアメリカンにした!?
ヤマハは1978年に、トラディショナルなスタイルに空冷単気筒エンジンを積んだ「SR400/500」を発売し、人気のロングセラーモデルとなったのは広く知られるところでしょう。
ところが、同名で排気量が異なる「SR250」(1980年発売)は、なぜかアメリカンスタイルでした。1970年代後半頃は第1次アメリカンブームだったので、その方向性で仕上げたのだと思われますが、偉大な兄貴分の陰で「名前負け」したのかもしれません……。
ついていけなかったデザイン変革
1980年代初頭はカワサキ「Z400FX」(1979年)の登場により、400ccクラスに4気筒ブームが訪れ、ヤマハも「XJ400」(1980年)で対抗します。

そしてバリエーション拡大で翌1981年には豪華版の「XJ400D」が登場し、4本出しマフラーを装備していました……が、当時は「集合マフラー」が偉かった時代です。しかもマフラーが増えた分、車両重量も増したため当時のスペック競争でも不利で、販売台数はあまり伸びませんでした。
また当時のヤマハと言えば、「RZ250」や「XJ400」など丸みを帯びた流麗なスタイルが人気でしたが、そこで新機軸といわんばかりに直線基調のスタイルにシフトします。
なかでも従来モデルのSOHC2気筒から新開発のDOHC2気筒にフルチェンジしたロードスポーツの「XS400」や、アメリカンの「XS400 Special」が特徴的でした(250ccの兄弟車もアリ)。
……が、あまりに斬新だったのか、ファンは受け入れ難かったようです。
オンロードスポーツの「XS400」に関しては、すでに400ccクラスは4気筒エンジンに人気が集中していたためかもしれませんが、気筒数や速さにあまり拘らないアメリカンにおいても、「XS400 Special」は人気を得られませんでした。
そして直線基調のスタイルでハズせないのが「XZ400」および大型カウル装備の「XZ400D」ではないでしょうか。こちらは新開発の水冷V型2気筒DOHCエンジンを搭載し、欧州では兄弟車の「XZ550」が人気を獲得しました。
とは言え、かなり大柄で、人気の4気筒モデルより重量的にも不利だったためか、当時もほとんど目にすることがありませんでした。
元祖「ネイキッド」!!
現在ではカウリングを装備しないオンロードスポーツ車を「ネイキッド」と呼び、バイクのカテゴリー名にもなっています。1980年代中頃から登場するレーサーレプリカ以前はカウリングを持たないスタイルが一般的だったので(国内では1982年中頃まで市販車にカウリング装着の認可が下りなかった)、ネイキッドという呼称はありませんでした。

しかし一気にレーサーレプリカ人気が高まると、今度は「カウリングが付いていないスポーツ車が欲しい」という要望が上がりました。そんな声にヤマハが応え、1985年に発売したのが「FZ400N」です。前年発売のレーサーレプリカ「FZ400R」から、まさに「カウリングを剥がした」スタイルで、車名の末尾に「ネイキッド(Naked)」の「N」が付けられました。おそらく日本で最初にネイキッドを名乗ったバイクだと思われます。
そんな革新的なコンセプトでしたが、当時はネイキッドという呼び名は定着せず、不遇なことに正式名ではなく「FZのカウルの無いヤツ」みたいに呼ばれていました。
迷走したオフロード系
1980年代のバイクブームでは、ロードスポーツ(およびレーサーレプリカ)やアメリカンだけでなく、全ジャンルで人気が高まりました。そこでヤマハは、オフロード系でも様々なバイクを世に送り出します。
1985年発売の「AG200」はオーストラリアの広大な牧場などで活躍する牧羊バイクで、ヘッドライトガードを兼ねるフロントキャリアや大きなリアキャリアなどを備えたヘビーデューティな作りですが、日本ではあまり売れませんでした。同年発売の「セロー225」は大ヒットしたのに少々不思議ですが、1人乗りや「仕事感」が災いしたのでしょうか……?

1987年には極太リアタイヤの「TW200」が登場します。このバイクは1990年代に「スカチューン」などのカスタムが流行って「ティーダバー」という言葉が生まれるほど人気を博しましたが、登場当時はまったくの不人気車でした。そのため中古車での車両価格も格安で、それがカスタムベースの要素になった一面もあるでしょう。
さらに1988年には、レーサーレプリカの「TZR250」の2ストローク水冷並列2気筒エンジンを搭載する「TDR250」を発売しました。発売直前にはプロトタイプの「TDR」がエジプトの砂漠で闘うファラオラリーでクラス優勝しており、今で言うところの「本格アドベンチャー」です。
……が、販売面では振るわず一代限りで姿を消しました。
「オンロードではTZR250に負け、オフロードだとDT200Rに負ける」と揶揄されたりしましたが、当時はまだアドベンチャー系の人気や認識が薄かったからかもしれません。
「DT200R」繋がりで言えば、1987年に発売された「SDR」も忘れられません。美しくメッキされたパイプフレームに「DT200R」ベースの2ストローク水冷単気筒エンジンを搭載した「超軽量&超スリム」なロードスポーツは、高いコーナリング性能を誇りました。

ところがあまりにマニアックな方向性に仕上げたためか、一般ウケはしませんでした。
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このように、昭和のバイクブームには、ヤマハもチャレンジングなバイクを数多く発売しました。一代限りで姿を消したモデルも多々ありますが、それだけに今見るとかなり魅力的に映ります。
とくにオフロード系の個性派モデルは、いま発売したらけっこうウケると思うのですが……。
Writer: 伊藤康司
二輪専門誌『ライダースクラブ』に在籍した後(~2005年)、フリーランスの二輪ライターとして活動中。メカニズムに長け、旧車から最新テクノロジー、国内外を問わず広い守備範囲でバイクを探求。機械好きが高じてメンテナンスやカスタム、レストアにいそしみ、イベントレース等のメカニックも担当する。


















